収支報告書の説明責任
静物 中盤全紙 水彩人の講習会で一緒に書いたものである。講習会では一緒に描く事にしている。作品を作るつもりで描く。だから講習会というより、研究会という事である。
国会議員の収支報告書の間違いが頻発している。多くの人が記載ミスとか、法的には問題が無いとか、弁解をしている。既にうやむやになってきた。国会議員なのだから、有権者がしっかり判断すればいい事である。その判断材料が公表されていないことが問題なだけだ。政治にはお金が必要だという事を、政治家は言い訳がましく主張する。そして、一人国会議員に1億円もの税金が充てられていると、テレビでは説明していた。選挙にはお金が掛かるのであって、政治にお金などかかるわけがない。もし、お金が掛かるという事なら、1億円の使い道すべてを公表してもらいたい。大半が有権者の接待に使われているように想像している。政治活動にどうやって1億円も使うのか。政治とは結局お金の出入りだと、大学の時の政治学の授業では解説されていた。税収と支出である。それを会計検査院が調べる。所が、政治家は政治にお金が必要だと言いながら、その使い道を明確にしていない。明確にできないお金が居るのが政治だとすれば、それでは裏金政治という事になる。
利権と既得権の政治。今の時代の政治なんてそんなものだ。大抵の人はこんな諦めを感じ、国の未来等関係無い。という気分で暮らしているのではないか。これが政治家の付け目なのだ。眺めているだけの観衆。主体者でありながら、傍観者に追い込まれる、国民。憲法12条にある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」不断の努力はどこに行ったのだろう。投票するという努力すら、半数の人間が行わない民主主義国家。政治家はこの状況を導き、悪用している。政治に関心が無い事が良い政治が行われている証拠だ。そう発言した国会議員もいた。問題があれば、選挙に行くはずだというのだ。しかし、そうではない、問題が見えなくされている。それが説明責任である。簡単なことだ、政治家にはその経費の収支報告を月々、すべてをインターネットで公表する責任を課すことだ。
それを嫌だという議員は、やらないでもいいが、やらない人間には投票をしなけばいい。実はそれに類するものは、公開されているが、これは政治団体を持っている議員だけのもので、政治団体同士が寄付行為などをしている様子ぐらいしかわからない。その個人の収支内容までは分からないようになっている。そう考える国会議員がいるなら、その人からやればいいことだ。共産党や、社民党の議員さえそういう事をしていない。やっているのか知れないが、ネットで調べた範囲ではない。どこか後ろめたい所があるからだ。政治活動費が何に使われているのかの報告こそ、議員の本当の活動が見えるものだ。同時に、日々の活動日誌もインターネットに出してもらいたい。議員というものが、代議員であり、税金で活動してもらっている以上、そのくらいの義務を課して当然のことだろう。それを行えば、1億円はかからなくなるはずだ。新任大臣の収支報告が問題化している。と同時に野党の責任者の収支報告の問題点も出された。この背景は大多数の議員におかしな収支報告があるという事だろう。
小田原の衆議院議員は牧島かれん氏である。この人は日々の活動を公開している。例えば最近久野体育祭に見えていたが、確かに報告されている。細かく国会議員が何をやっているのかという事が分かるように書かれている。これは評価されていい。問題はそれに伴う収支報告書が出ていないことだ。併せて何にどれくらいのお金が出入りしているのかを書いてくれれば、完ぺきである。しかし、この日誌を読んでみると、政策の研究はいつやっているのだろうと思わざる得ない。ブログにも牧島氏らしい政策はない。自民党からの天下り政策がならなんでいるだけだ。私の判断では、牧島氏の日々は選挙運動の為の活動としか見えない。この人はなにがやりたくて政治家になったのだろう。