侵略戦争と植民地
信濃川 中盤全紙 畑、田んぼがあって、川が流れている。人の暮らしがある。全く当たり前の眺めだ。しかし、こういう眺めは本当に珍しくなった。
日本は過去近隣諸国を、侵略し植民地化した。このことを認めない人達がいる。侵略戦争を行ったことを認め、反省するという前提が無いのであれば、近隣諸国との正常な外交関係は持てない。安倍政権は態度に曖昧なところはあるが、小泉政権の見解を踏襲している。この歴史認識に私が何故至ったかを書いてみたい。
日本とは、日本民族とは何かということがある。ナンシーにいたとき、日系ブラジル人の留学生がいた。ナンシーには日仏協会もあり、毎月例会が開かれており、10人余りの日本人留学生も当然参加していた。新しくナンシーに来た日本人には、日仏協会の集まりがありますよと、気が付いたら伝えていた。この日系ブラジル人の人も日本人だと思い、日本語で話しかけた。もちろん日本語は通じないし、片言のフランス語で、この人がブラジル人だということが分った。間違いなく日本民族の血液ではあるが、ブラジル人である。その人を時々学食などで見かけたが、特に避けていたのではないが、日本人とかかわることはなかった。最初に日本人なのかと考えたのは、見た目である。ところがこの人の心情は完全に日本人ではなく、ブラジル人であった。この感触は不思議なものだった。その感触からいえば、江戸時代の日本人から見れば、現代の日本人は日本人とは思えないだろう。
人種としての日本人と言うものと、所属する国の国民と言う関係は、その人の外見ではなく、イザンヤペンダサンの言う所の日本教の問題なのだ。札幌市議の金子やすゆき氏は「アイヌ人は居ない。」発言で自民党を除名された。議員はこの意味を色々書いている。アイヌ人と言うものは何かと言えば、アイヌ語をしゃべり、アイヌ人としての宗教や生活習慣を行っている。総合的にアイヌ人としてのアイデンティティを持っている人と言うことのようだ。この人の発信の仕方は幼稚で問題が大きいが。考え方としては、あり得る考え方である。私は日本人であることを大切にしなければ成らないと考えている。アイヌが居ない以上に、江戸時代からの日本教を信奉する日本人は減少している。日本人が江戸時代に培った循環型の社会こそ、人類の進むべき方向と考えているので、このことが歯がゆくてならない。
日本列島と言う自然環境の中ではぐくまれた日本文化と言うものは、類まれなものであり、残すしてゆく価値があると考えている。日本はこうだという、暗黙の了解というか、一定生まれてくる方向性が無いならば、3代も世代が変われば、日本人は漂流の民になっている。日本列島という島国において、鎖国と言う特殊な外交政策をとり、循環型社会を、自給自足社会を、ほぼ構築した。日本語を話し。日本教と言うべき様な特殊な宗教形態を持ち。独特の風俗を形成し、日本的生活形態を作り上げた。その日本人の国が日本である。
ここからが、今日書きたいと考えたことだ。朝鮮人や台湾人に対して、日本人化を試みようとした。これを侵略との実態だと思う。日本語を話すように推進し、日本式神社をつくる。教育も日本式の物として、日本と同化させようという考えで統治を進めた。このことを侵略の根源だと思っている。それを近代化だと考え、朝鮮や台湾の一部の人が自ら望んで行った事例が良く主張されるが、それも確かにあるだろう。例えば、脱亜入欧政策で、日本語を止めて英語にしようとした日本人人も明治時代にはいた。こういう人は売国的日本人である。日本には近隣諸国を日本人化したいという意図を持った人が存在した。アイヌが、望むと望まざると、日本人化したように、近隣諸国も日本人化できると、その方が互いの幸せであると考えたのだろう。欧米の帝国主義に対抗するには、それ以外にないと考えた。外圧によって、その民族の宗教や習俗を、同化させてしまう政策を取るということが、侵略なのだと考える。アイヌは日本人によって、侵略され、日本人に同化した。
その意味で、アメリカが日本の占領政策の中で、日本人の暮らしを変えようとした。例えばパン食を推奨するということは、食生活への侵略の一歩だ。軍国主義を形成した封建主義を是正して、アメリカの考える正義の民主主義を根付かせるという、アメリカの考え方は、社会正義とか、日本が民主主義社会に変わる為だという理由だろう。しかし、アメリカは英語を強制したわけでも、キリスト教を強制したわけでもない。日本民族が日本人として方向を正すことを模索したし、日本人もおおむねそのやり方を上手くこなしたのだと思う。
ところが、アイヌ問題だけででなく、現状では世界のすべてが、資本主義によるグローバル企業の存在によって、経済侵略されていると言える。日本原理主義に成ることはいい事だと思わないが、英語を日本の初等教育に取り入れるなどと言うことは、日本人に対する侵略行為の一つだと思う。もちろん日本人が自分の判断で、やっている。しかし、その背景にあるものは、グローバル資本主義の圧力である。生きてゆくには英語が不可欠だという幻影に、追い込まれているのだ。
長く成ってきたがもう一節加える。移民と言うことがある。最初に書いた日系ブラジル人はその結果である。この移民政策と言うものも、国家と侵略と言うことに大きくかかわる。満州国を建国し、満蒙開拓団を結成して、日本の権益を広げようとする。背景には日本人の人口増加がある。日本の国土にあふれてゆく。長男だけが、農地の相続を行い。それ以外の4人も5人もいる子どもたちは、どこかへ出てゆく以外ないという状況が、人口爆発の背景にして起こる。富国強兵政策の結果、農村は重い重税にあえぎ、飢餓に陥るほどの貧困状態になる。その解決策が移民政策に向かう。アメリカおよび中南米にも、移民が続く。同時にアジア諸国にも移民政策が取られる。これが近隣諸国に置いては、軍の進出と相まって、辺境の自警団的な組織として開拓団が考えられ、軍の意図にしたがって移民が行われる。これも侵略行為の一つである。書き尽くせないが、私の考える日本の行った侵略の一端である。