脱穀終了
鳥海山桜 中盤全紙
今年の稲刈りから、ハザ掛け、脱穀と気が気でなかった年はない。台風18号、19号の襲来があった。この間を縫って、かわして、作業をしなければならなかった。こういう時他のことは考えられなくなる。それなのに、水彩人展があり、自治会長の仕事も連日のごとくある。何で乗り切れたかと言えば、かろうじてグループ田んぼだからである。家の方の畑は、雑草でめちゃくちゃに成って、家の方全体がジャングル状態である。それでも今年は仕方がないと、しのいできた。もう一息である。稲刈りは4日に無理にすべてをバインダーで刈り取った。例年はハザ掛けをしながら、半分づつ進めるのだが、今年は4日にすべてを刈り取った。結束した稲束は畑の石垣のかげに出来るだけ、寄せて置いた。風で飛ばされないようにということだ。穂が雨にぬれても、少しでも痛まないでほしいと考えた。18号は相当の雨だった。6日には田んぼはぬかるみ状態に成っていた。この中でのハザ掛けだったので、足が疲れた。2日間かかった。と言っても、みずほ学級の農の会の見学があり、だいぶ抜けざる得なかった。
そして、ハザ掛けした稲は13日の脱穀の予定だったのだが、なんと、19号の襲来が予想され、11日午後からはじめた。稲が乾いているかが心配だったのだが、何とか、始める時で17%を切っていた。2日目は15%台だったと思う。案外に急速に乾いたのだ。刈った稲の対処も良かったし、ぎりぎりまで稲の登熟が来ていたということもあるのだろう。もし、4日に稲刈りをしなかったら、すべてが倒伏していただろう。そして、もし13日に脱穀しようとしていたら、ハザ掛けが倒れて、泥まみれに成っていただろう。よくしのいだと思う。11日の脱穀も、12日の脱穀も、神山神社の祭礼で途中抜けた。自治会長としての祭礼の参加は正装ということなので、ドロドロの農作業衣から、着替えての参加だから、慌てふためいた。この間ハ―ベスターの故障もあり、その修繕などで作業の遅れもあり、迫る台風との戦いの様な有様だった。
ご近所の農家の方が収穫が終わっての話だと、藁が多かったわりにお米は少なかったと言われていた。ところが、農の会のアジサイ田んぼでは、藁が少なくハザ掛けが去年よりグーンと少なかったのに、お米は採れていたと言われていた。果たして、今年の欠ノ上田んぼ収穫はどうなるだろうか。藁が多かったことはそこそこである。籾袋の様子では、結構取れているようだ。早速今日、籾擦りをする。そのまま分けてしまうことに成る。台風が来る前に残りのもち米を、脱穀する。まだ降っていないので、何とかできそうだ。幸運が続いている。
大変ではあったが、それでも幸運であった。何かが一日づれればもうどうにもならない様なことに成ったかもしれない。イノシシの出現もそうだった。きわどく荒らされる前に収穫まで来た。
毎年そうなのだが、グループ田んぼは気持ちが良い。気持ちの良い共同作業の典型ではないだろうか。昔の部落の作業の様だ。助け合うことが、自分のことである関係。これはとても大切なことだと思う。この経験を田んぼは、昔から日本人におしててきた。それで日本人が出来て来たと言ってもいい。だから、体験農作業ををするなら、失敗まで含めてみんなで全体を行うことが大切だと思う。今年はいも煮会まで、何とかできそうである。栗林の整理が終わり、かまども作り、着々と全体の整備が進んでいる。8時からは、お祭りの門の片づけがある。1時間ぐらいかかるらしいので終わり次第、籾擦りに回りたい。