エネルギー暴落が起こるかも

   

上の畑 中盤全紙 ファブリアーノ 自分が耕した畑を時々描く。他を描くのとは違うおもしろさがある。

エネルギーはどの時代であれ、暮らしにとっては衣食住と同等の重要なものだろう。江戸時代であれば、家の裏に里山があり、いつでも薪や炭が手に入る暮らしと言うものを願ったようだ。遠くまで採りに行かなければならない暮らし、あるいは購入しなければならない暮らしは、不経済で不便なものであった。戦後の経済発展のなかでう、原子力は化石燃料のない日本の夢のエネルギーとして登場した。石油は枯渇するから、それまでに何とか、新エネルギーを見つけなければ人間の文明は終焉に向かう。小学校の時代に東海村に原子力発電所が出来て、そう先生は教えてくれた。マッチ箱ぐらいのエネルギーで世界を一周できるのだと、新聞の特集には絵入りで書いてあった。現在、政府は再稼働に必死である。代替の自然エネルギーの話はどうなったのかというぐらい、世論の反対を押しても原発再稼動を進めようとしている。しかし、その一方で実はエネルギー価格が暴落する可能性が出てきている。

何と言っても現代文明を産み出したエネルギーは化石燃料だ。産業革命が石炭であれば、20世紀の世界の激変は石油である。しかし、石油偏重が進めば進むほど、産油国との軋轢が深刻化してきたのが、中東の戦争状態の背景にある。特に、ホルムズ海峡の封鎖は日本の命取りだからという理由を上げて、集団的自衛権の解釈見直しまでしてしまった。それなら、代替エネルギーを早急に取り入れ、石油依存を止めると言う道が、平和国家の取るべきかじ取りであろう。しかし、石油を取り巻く状況が変わりそうな気がする。石油はすでに需要も価格も動かない。世界の人口は増加しているにもかかわらず、その消費量は伸びない。「現在の100ドル/バレルの実質価格は、後に石油価格暴落を招いた80年代初めの価格水準と同等である」ということだ。現在さらに100ドルを割り込んできている。日本が石油輸入で国際収支が悪くなっているのは、円安の為であって、石油が上がっているからではない。もしこれが円高に振れていれば、ガソリンは100円程度に値下がりする。当然、原発の再稼働などコストからして考えられない事態なのだ。

世界でのエネルギー源は石油は33%であり、石炭が30%である。石油は70年代には残り2兆バーレルと言われていて、その後1兆バーレル使った。ところが現在の採掘可能量は7,7兆バーレルだそうだ。技術革新である。しかも使用量はさして増加しない。そこへシャルガスを始め、様々なエネルギーが技術革新を始めた。次の時代は、新しいエネルギーに転換できた国が先導するに違いない。過去のやり方に固執して、次のエネルギーに転換できない国が、取り残される事に成る。日本の条件がエネルギーの完全輸入国であるなら、次世代エネルギー技術の先進国に成ることを国の方向にしなければならない。どの角度から考えても、原発に固執している時ではない。既得権政治を抜け出し、新エネルギー産業創出に官民そろって向かうべき時だ。

次のエネルギーの可能性が見えてきたので、石油を値上げできない。石油時代は遠からず終わる。次のエネルギーのめどが見えたときに、石油価格の暴落が始まる。次のエネルギーは日本が傍観者でいるとしても、本気で模索する国が登場し、開発するに違いない。その新エネルギーを獲得した国が、次の文明の中心に位置するはずだ。その時石油に依存している国、まして原発に依存している国は、取り残されると考えて置いた方がいい。日本は幸いにも、エネルギー産出国ではない。そして重大な原発事故を起こしてしまい、国民には原発の不安が存在する。新しいエネルギー技術を創出するには、ふさわしい環境にいる国のはずだ。それを進めないのは、過去の成功体験から抜け出られないからだ。既得権を持つ者の声が強いためだ。それが既得権圧力と成り、政府を動かしている。こんな後ろ向きな方向しか考えられないのだとすると、日本は相当に危うい状態にあるということだ。

 - Peace Cafe