アジア大会での窃盗事件
志賀高原 田ノ原湿原 中盤全紙 早春である。一番美しい季節だ。5月である。日影にはまだ残雪がある。こういう場所で一度田んぼを作ってみたいものだ。稲は少しでも実るものだろうか。この湿原のそばに温泉ホテルがある。ここの方は10年くらい前には、野菜の畑を作っていた。さすがに生育が悪かった。それでも、少しづつ出来ていた。
水泳の日本選手が、アジア大会で報道陣のカメラを盗む事件を起こした。まさかの衝撃である。しかし、よく考えてみれば、いつ起こっても不思議でない事件だったのかもしれない。エリート教育の実態が背景にある。高校や大学の運動部という環境が、前近代的な暴力が支配する、縦社会であることを経験した人は少なくないと思う。強ければ人格など全く問題にされない、競走世界。これから東京オリンピックを控え、ますますこの傾向が強まるはずである。強ければそれでいいのか。能力主義の限界。金メダルを取れるなら、どんな人間でもオリンピックに出場すべきなのか。柔道の金メダリストが、強姦罪で有罪判決が出た。こんなバカげたことがスポーツ界の根底に存在している。コーチのセクハラや、パワハラ事件など、氷山の一角であることを疑わざる得ない状況である。東ドイツでは強い選手を作り上げるために、国家を背景としたドーピング事件さえあった。
それにしても、今回の窃盗事件は前代未聞である。問題を抱えた選手は今までもいたはずだ。しかし、選手団組織として選手把握が出来ていなかった。競技団体そのものの管理能力を疑わざる得ない状況である。韓国でのアジア大会の意義を、日本選手団は認識できていたのだろうか。金メダル50個を目標として、それさえ取れれば成功という様な認識だったのではないか。東京オリンピックに向けての、足がかりとしての選手強化。そして、スポーツ団体への補助金の増額願望。精神がジャブジャブ状態のスポーツ団体が想像される。何のためのスポーツかをもう一度確認する必要がある。競技者はその底辺と成る健康スポーツの結果でなければならない。バレーボール鬼の大松監督は、前の東京オリンピックで金メダルを取った後、ママさんバレーを普及啓発生涯その目標にした。そして金メダリストたちも、ママさんバレーボール普及を熱心に行った。それは金メダル獲得以上に素晴らしい活動だと思った。
今回の事件にはもう一つの問題がある。確かにトップ選手の存在は、日本全体の喜びである。それと国威発揚が繋がることの危険だ。期待を裏切る選手の人格の意味をもっと深刻にとらえるべきだろう。韓国では反日感情の高まっている。その韓国で日本の選手が犯罪を犯してしまったという、外交的打撃である。早急に政府が謝罪をしなければならない。事の重大さを認識しなければならない。日本大使はすでに駆けつけて謝罪したのだろうか。場合によっては、謝罪のための特使の派遣も必要かもしれない。対応を誤れば、従軍慰安婦問題にまで悪影響をもたらすことに成る。オリンピック開催にも大きな影響が考えられる。事を甘く考えない方がいい。次に考えるべきは再発防止である。こういうことがいつ起きても不思議のない状況がある。今回の事件を特殊な事例と考えない方がいい。ここで対応をお茶を濁せば、次々にこんなことが起こりかねないと考えて置いた方がいい。
スポーツはあくまで自己新である。それぞれの個人の為に行うものだ。国民全体でのそうした積み重ねの結果として、一流選手が登場する。登場しなければそれでもいい。学校の名誉とか、国の名誉が、優先される能力主義の弊害。競争の環境では人間としての選手が薄れて行く。強いという価値だけでの競争。競争の原理を心に植え付けてしまう、むしろ人間をダメにしかねないのではないだろうか。人間が育まれるようなスポーツ環境を作り上げる必要がある。弱くても、ダメでも、人間としての価値は、全く劣るものではない。相撲界では逸ノ城という怪物力士が登場し、新入幕で横綱に勝った。また、モンゴルからである。怪我をしなければ横綱間違いなしの逸材。日本人がなぜ勝てないのか。日本人の暮らしの変化を指摘する人が多い。相撲ファーンとしては書きたいが。江戸時代にあった負け相撲という芸能を考えてみたい。勝つだけが面白いのではない。勝ったり負けたりするのが面白のだ。