銃社会とTPP
いよいよ、TPPの準備会合に参加する日が近づいている。アメリカでは銃規制が出来ない国である。銃を持つことが正義守るために必要とされている社会だ。悪を正義の力で制圧すべき社会。日本から見れば尋常じゃない社会である。TPP交渉が始まるのだが、日本は銃を規制して居て、アメリカのライフルを販売することが出来ない。これは差別条項だということになるのだろうか。現状ではアメリカの銃所持が異常な社会であるというのは、日本人の大半が考えている。しかし、TPPのルールからすれば不安になる。軽自動車が日本では、人気が増しているが、これを差別条項だとアメリカの自動車会社は主張している。アメリカと日本のすれ違い部分は、徐々に高まっている。こういう問題は、国の在り方の問題である。アメリカ人は大きいから、軽自動車に乗れないだけかもしれない。国にはそれぞれの成り立ちがある。
国家にとって重要なことは食糧の確保である。外国からとやかく言われるようなものではないだろう。アメリカでは遺伝子組み換え作物が栽培されている。ヨーロッパも日本も、こういうことは自然を壊してしまうのでやるべきではないということが、一応は言われている。農水省は圃場実験はしているので、どこまで導入を遮るかは怪しいものである。自然界にない植物を作り、自然界に影響を与えてしまうことには、とても怖いものがある。しかも、植物は交雑する、食べたくないという人も食べさせられることになる。新しい病気の出現もあり得る。人間が踏み込むべき領域ではない。しかし、大規模農業経営者は、アメリカの尻馬になる可能性がある。きっと政府は国際競争力を持ちだすだろう。この場合、花粉が飛んでくるのだから、自給だから、勝手にさせてもらうということも難しくなるだろう。アメリカでは遺伝子組み換え作物を開発している、モンサントという会社は、飛ばした花粉が汚染した畑を、特許を侵害したと訴訟して歩いているのだ。
国家の主権がTPPによって影響を受けるということはあってはならない。労働賃金はどうなるのだろう。誰でもどこの国ででも働けるようにするというのは確かに良い。しかし、日本人が仕事を失うということになるのも現実である。アメリカはメキシコからの労働力の流入で、産業競争力を増したが、失業者は増大した。アメリカの問題は結局のところ能力主義の問題である。能力というものを正義の要素としている。努力したものが高い能力を獲得して居て、無能なものは努力しても無能かもしれないが、それはそれで仕方がないという社会だ。アメリカの権利社会は特許の世界である。日本とは著作権などずいぶん異なる。日本では著者の利益は、死後50年となっている。アメリカは100年を主張している。著作権を個人のものと考えるなら、死ねば終わりであるべきだ。こんなものに企業がしがみつく発想がおかしい。せいぜい遺族までである。これも文化の問題がある。
自由貿易という考え方の基本は正しいことだろう。しかし、国家の条件が異なる。北極圏の国もあれば、赤道直下の国もある。雨の降る国も、雨の降らない国もある。エネルギー資源の豊富な国もあれば、何も算出できない国もある。国家によって基本的な条件が異なる。異なる条件の中で、文化が出来上がっている。各国の独自性を生かし、育て合いながら、その範囲で自由貿易はおこなわれる必要がある。条件の良い、能力の高い国が、自由を正義として弱いものを押しつぶして、自分の利益を優先するのでは、良い世界は出来ない。その根幹となるものが食糧である。食料は各国自給を目指すべきだ。それが国家の自立の土台となる。食糧生産はその民族の文化と密接に結びついている。お米を食べる日本人に、パン食を強制するのはおかしなことなのだ。影響を受けるのは仕方がないが、日本人でなくなるのは間違っている。
昨日の自給作業:代かき、線引き、田植え3時間 累計時間3時間