2012年:歴史の転換点

   

昨年は日本の転換の年であったという事に気付く。日本がもと来た道に戻って行く、折り返し地点であった。後の時代の人は震災後と震災前という風に分けて考えるようになるのではないだろうか。1945,8.15の第2次世界大戦敗北までの戦前社会と、その後の戦後社会というくくりと、似たような社会認識が出来て行く気がする。戦後社会から震災までの65年余りが、日本が民主主義国家を希求した、経済主義の時代。そして、2011.3.11の大震災を契機に、国家と国民の関係というものに、再認識があった。個人主義を前提にした民主的国家というものが幻想であり、日本国という全体の価値が個人に優先される、という認識である。原発事故という危機的状況において、人間というものが置き去りにされても仕方がないという、悲惨な状況を味わった。そのことを、民主党という、自民党に変わるべき民主的傾向のあるとされた政府が行った。

マスメディアは体制翼賛時代を思い起こすかの如く、報道の抑制を行った。そして、その後2年間その反省もないまま、衆議院選挙を迎え、自民党政権に戻ることになった。この選挙では、実際の個別政策が十分議論がされることはなかった「農業政策の転換」「原子力政策の転換」「消費税をはじめとした経済政策の転換」「福祉政策の転換」「能力主義へ教育の転換」「TTPにみられる貿易政策の転換」「憲法改正による軍事力の強制大国への転換」どれ一つとっても日本という国家にとっては大きな政策の転換が行われた。しかし、その政策変更の認識はないまま、選挙の結果として進められることになった。充分な民主主義が成立していなかったが為と思われる。議論も検討もせず、説明もないまま、決定的な日本国の進路の転換が行われた。その方向の転換は新しい日本に変わるというより、昔の日本に回帰したいという、疲れの目立つ折り返し地点のように見える。

世界情勢の変化が一番に大きい。アジアの中で優位な立場を維持しながら、世界での経済競争に勝ち抜いてきたのが、戦後から震災までの日本である。しかし震災後はこのままでは、経済競争に落ちこぼれて行くと言うことが、自覚された状況である。疲労しながらも負けてなるものかが、自民党の政権の復活であり、競争の確認である。その為には、あらゆる転換を目をつぶろうと言うのが、これからの自民党のやり方になる。しかし、困難な道である。たとえ安倍氏の望むように国防軍が出来て、かなりの軍事予算を掛け、核武装までしたとしても、中国の軍事的進出は止めることが出来ない。経済分野においても、日本の世界での優位性は、むしろ後退を続けるだろう。国民の生活では福祉は後退し、農業は荒廃する。TTPに加盟し、あらゆる分野でアメリカの進出に悩まされる。社会はいやおうなくここに突き進むのではないだろうか。アベノミクスは借金による一時しのぎである。莫大に膨らむ財政赤字から、福祉的予算は切り捨てになる以外にない。以上は悲観的側面である。

この転換点を契機に、日本人という人間自体は変わるということも感じている。こうした苦しい状況の中で、それぞれが国とは別にやって行くしかないとする人たちが、暮らしを探求し始める。むしろ震災前に埋もれてしまい、見えなくなっていた「地場・旬・自給」の意味が、一部の人には確認されるのではないだろうか。自分自身がどう生きるのかという、個人主義の基本に立ち戻り、自立てきに暮らしを探求することになる。その時に江戸時代の循環型社会モデルが、意味を持ち始める。暮らしにおいて、個人の自立と共同する意味が確認されてゆく。それは社会から離脱ではなく、社会を根底で支えしてゆく役割を担うのではないだろうか。繰り返し存在したユートピア願望だけでなく、人間の生き抜くせつない願いとして、自給的暮らしが見直されてゆくだろう。

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