果樹園を作る
中段の畑を果樹園にした。7畝ぐらいの広さの斜面だ。竹林を開墾してから、2年。竹林を切ったのが一昨年の寒い頃で、その竹を燃やしたり、運び出したりが、昨年の寒い頃。やっと果樹が植えてもいいようになった。最初に傾斜地の上の方にずらっと10本枇杷を並べて植えた。枇杷はすでに根づいて一回り成長をして居る。花芽もつけているから少しは、実も付けそうだ。その下になる中段の畑を、最小限の畑にしようと準備をしていた。今年は草とタヌキに負けてしまい。大して採れなかった。それでもカボチャは豊作だったし、昨日はまだ、ナスが採れた。今は、昨年の菜の花のこぼれ種から、一面芽が出ている。そこに、果樹苗を21本植えた。孫範さんに頼んで、取ってもらったのだ。果樹園を作るというのは山北にいた頃からの夢だった。山北でもあれこれ植えたのだが、果樹園とまではいかなかった。
今度は思い切って面積もとれた。それは、お隣の事情で、家のすぐ脇の畑を5畝購入することになったのだ。紆余曲折はあったが、そこを最小限の畑にした方が、合理的と言う事で、中段の畑は果樹園に変更した。ひょんなことから、果樹園ができることになった。「チェリーブロッサム」のセールスマンではないが、果樹園のイメージは都会暮らしをしていると、やけに膨らむものだ。花が咲き乱れ、地面が緑の草で覆われ、風が流れてゆく。その上実が食べれる。そんなイメージがある。さすがに今はどれだけ、果樹栽培が困難か理解しているつもりだ。それでも、上段に最小限の家、中段に果樹園、そして下段が畑。少しはなれて入るが、共同の田んぼ。竹薮とその中に鶏小屋。これらが一そろいに成って、最小限の自給生活が、成立する、と思うと夢が膨らむ。
果樹をどんな種類にするか。あれこれ迷った。迷っていて、進められなかった。その内、寒くなってくるし、来春になりそう、これでは相当にまずいので、ともかく3本づつ7種にした。栗、これは絶対に必要。昔、栃木の妙見寺で、素鳳先生と採った、栗が忘れられない。日本人には必需品である栗。次に、柿。これは、一番好きな果物だ。又木が美しい。葉もいい。スモモ。これも使える。梨。イチジク。間ではいいとして、桃はやりたいが、無理だと思って止めた。この辺りまでは、私の希望。後が、ネーブルと、ブルーベリー、これらはカヨ子さんの希望。希望は入れなければいけない。で5メーターに1本という距離で植えた。それでも植えると近すぎるような、感じがした。きっともっと距離を離すものだろう。ブラジルのりんごは間をトラックが通れるそうだ。
果樹園が出来上がるのは5年先だろう。63歳と言う事になる。気の長い話だが、あわててもしょうがない。どんなに先の事でも、あっという間に過ぎることは判っている。私が何処までやれるのかは分からない事だが、ともかく、自給自足のモデル園作りに進みたい。5年先の日本の食料の事情は、更に深刻度が増しているに違いない。そのときに、日本人の暮らしをどのように転換するか。何処に不時着するか。その一つの、方角として、私の目指そうとする暮らしが、意味をなすのではないか。と思っている。何処の誰でも出来る自給自足。一日2時間働けばできる自給。1人100坪あればできる自給。この後は来年一年かけて、上段に最小限の家を建てる。下段には畑を作る。何か準備ばかりしているようだが、どの道、完成の姿などないのだから、ある方角に向かっていると言う事で良い。昨日は少しは進んだ。