子供達の状況
全ての矛盾は子供に現われる。教育原理の授業で、小松先生が言われた。この言葉を思い出さざるえない、大変な事件が相次ぐ。今日本で表面化してきた、子供を取り巻く状況は、日本という社会の悲鳴だ。毎日のごとく、親から虐待を受け、殺される子供がいる。地獄のような事だ。これほど辛いことは無い、最も愛情を注いでくれるはずの親が、子供を虐待する。一方、学校でのいじめを苦に、自殺する子供も相次いでいる。何とも悲しい事だ。いたたまれない気持ちになる。
社会の仕組みが、ぎりぎりの所で悲鳴を上げている。例えばこうした状況に対し、報道の姿勢というものは、感じられない。逃げる管理者を、追及することが、報道の正義のように、奇妙な、不思議な形で盛り上げているだけ。その結果、子供の自殺が、親の虐待が、更に続く事になる。何をさておいても「子供を守る事」そのためには静かにして、もっと遠回りしなければならない事もある。
日本的仕組みが、崩壊を始めている。それは良い意味でも、あるのだが、新しい組織を作る方法を、見つけられないでいる。批判承知で、書くのだが江戸時代の社会の仕組みを、近代の仕組みの問題点を通して、批判的に(ここが難しいのだが)過去の仕組みを見直し、再構成する必要がある。何かを決める方法を失っている。学校での心ある教師は、大変困難な中にいる。追い詰められた心境で、辛い毎日を送っている。その辛さも感じない、心を閉じる事を選択した教師は、今起きている状況も、全く認識も出来ずにいる。
役所も同様だ。普通に事業を進める方法を見失っている。県・市の提案する、里山事業に参加しているが、全く方法を行政は提案できないでいる。過去のやり方の反省はある。しかし、新しい方法を知らない。タウンミーティングのやらせが出ている。国民・市民を愚弄したような方法しか、思いつかないのだ。市民の為に事業を進めるのでなく、上司に、市議会に、市長に、法律に、命令されたので事業を行う。心を閉じる事で、人間としての思いを捨てる事で、状況を乗り切ろうとしている。そうでなければ、耐えられない社会になっている。
子供達にその矛盾が集中的に現われている。もう日本という社会が耐えられなくなっている。小手先の手法で、事を収めたところで、根本のあり方が間違っている。一言で言えば、拝金主義だ。明治以降の、富国強兵、立身出世。こうした意味の無い考え方だけが、今の社会を形成している。その結果、価値観の喪失、イデオロギーの喪失。社会が方向を見失う時、拝金主義だけが目立ってくる。要領よく立ち回り、お金を得る。これだけが、生きる目標になる。
愚痴っているわけではない。これを大転換する以外、平和な暮らしは来ないと言う事。自給自足に生きることを選択することは、社会からの逃避ではない。社会に対し、自分の生き方を通し、転換を迫ろうとしている、つもりだ。極めて遠回りではあるが、他人を食い物にしなければ、勝ち残れないような、競争社会を止める以外今起きている子供達の問題は、根本的には解決が出来ない。校長を、教育委員会を、文部省を、政府を、何処を責めたところで、一人ひとりの暮らしの方向が変わらない限り、弱い子供達に矛盾が集まってゆく。