安倍総理の再チャレンジとは何だ。

   

安倍総理は、所信表明演説で次のように語っている。「新たな日本が目指すべきは、努力した人が報われ、勝ち組と負け組が固定化せず、働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわちチャンスにあふれ、誰でも再チャレンジが可能な社会です」

OECDによると、日本の現状は、相対的貧困率(所得格差)が加盟国中下から2番目に悪いそうだ。小泉政権時代格差社会と言う事が盛んに言われた。当初はそれを否定していたが、結局は数字がそれを示し始め、認めた。100万の生活保護世帯。そこで、貧困層にも機会を与えようと言うのが、安倍総理の再チャレンジだ。

これは、負けるものが多数存在することを容認しよう。こう言っているのだ。チャンスがあるのに負けるのだから、貧困であることは本人の問題だ。こういっているのだ。平等の競争を唱えるのは強者の論理だ。

一億層中流社会と言われていた日本。貧富の差が無いところが、日本の活力であり、平和な社会の形成につながっている、と盛んに言われた。農村から離れた、大多数の日本人が、様々な職業に散っていった。求人難、金の卵と言われ、どの職業も収入的には、差がなかった。中卒で、工場や、工務店に勤めても、大卒で、企業や役所に勤めても、収入的には大きな差が生じなかった。これが日本の活力だった。

所が、小泉政権下、大きく変わった。弱肉強食の競争社会を作り出そうとした。これが、規制緩和の構造改革の実態だ。更に安倍政権はこれを進めようとしている、だからこそ、再チャレンジを連呼し、負けるものがどんどん増える事を予見している。この先、更に貧富の差のある社会が到来する事を、再チャレンジと言う言葉で、宣言している。貧困層にもチャレンジできるのだから、良いだろう。こう今から弁解しているわけだ。

先日、島本篤エルンストさんから、神奈川県の外国人労働者の実情を伺った。低賃金が固定化し、労働条件、子供の教育問題、深刻な状況にあるとのことだ。所が、この外国人労働者の中に、日本人が進出してきている。こう言われるのだ。とても日本では生活できない、労働条件なのに日本人がまぎれていると言うのだ。

外国人労働者問題は、実はこの貧富の格差の固定化になる。
私の知る福祉関係に働く若者達は、ボランティアと言ってもいい低賃金で頑張っている。介護関係に就職する、志ある青年達が低賃金のなかで、情熱を燃やしている。しかし、こうした低賃金での継続は難しく。止めざる得ない者も多いい。それでも、ボランティア精神で歯を食いしばり、低賃金に耐えている現状だ。

フィリピンから看護士の受け入れが始まった。看護士数が足りないからではない。低賃金での固定化が行われ、情熱だけでは劣悪な労働環境の中、継続が出来ないのだ。そこに、外国人労働者が入ると言うことは、まさに固定化が行われることになる。これが規制緩和の実態だ。

農業分野も同様の状態がある。企業的農家の支援。中小の農家の切捨て。強者の論理で、効率だけを求めているのが、今の農政だ。企業的農家が、世界の農家と競争すると言うのでは、村祭りの準備など関わっていられないだろう。川掃除も、道普請も、地域を守る全てを、誰が行うことになるのだろう。竹林の管理すら地域できなくなっている。
そんな世知辛い社会は住み難い。

 - Peace Cafe