自給と共同作業
農の会は、「農業をやって見たい。」この思いと、「農業をやってみる。」をつなげてきたのだと思う。農業をやって居ます、こう話すと、大多数の人が、うらやましいですね。そんな暮らしを憧れているんです。こう答える。もちろん農業未経験の人だ。農業者や、農家育ちの人は、「よくやるね。農業だけはやりたくない。」こう答える。
農業をやって見たいという人も、実は本音として、「農業は大変で、とても自分にはできない」と考えている。だから、幸いの事と言うか。やりたいけどやれない、と言う農業を取り巻く現実は、そう悪くない。それをいい事にというか、軽く、「私もやってみたいです。」絶対に出来ないと思いながら、こう言われるのだと思う。
「やってみたい、からやってみる。」への距離を失くしたのが、農の会だと思う。間違って、やって見たいなどといえば、明日から田んぼに行かなくてはならなくなる。そういう状態を作ってきた。農業をやりたければやれる。準備は要らない、思いだけあればスタートできます。こう呼び掛けて来た。
日々の暮らしと「自分の食べる物を作る事」を何処まで接近させられるか。これを模索してきた。今年この壁を、打ち破る出来事に2つ出合った。一つは、福永さんと言う方が行った、60坪の田んぼだ。100キロぐらいのお米が取れた。これを、全て手作業で、しかも、労働時間は合計50時間ぐらいだろう。これは技術の勝利だ。不耕起田植え法で行った。
もう一つは、大豆の会の活動。自分の家の味噌を作る。このためにどのくらいの時間をかけて、大豆から作れるか。種蒔き、育苗、畑の準備、定植、草取り、収穫、脱穀、選別、これを共同で進めている。一軒の必要大豆は、3キロから、6キロ。
参加者が、30家族で充分の収穫になる。これにかける時間が驚くほど少なかった。
いずれも、機械は要らない。手間もかけない。費用もかけない。それで充分な収穫がある。自給の原点だ。味噌と米が確保できる。後は庭先で、少々の野菜を作れば、食の自給が達成できる。いずれも蓄積してきた、技術の、成果だと思う。
「一日2時間で、100坪の土地があれば、自給できる。」これが誰にも可能な状態に近づいている。要するに技術力だ。技術が一番の要素だ。技術はワザではなく、誰にでも再現できる方法だ。野菜についても同様なことがいえる。自分が食べる野菜は、かなり省力化した方法で生産が可能だ。見栄えは悪いし、美味しく無い野菜でかまわない。
やって見たいという思いを、軽々と実現する為には、技術の集積が必要だ。プロの農家が培うワザではなく、誰にでも出来る技術で、体力もいらない方法だ。農の会にはそれが、大分蓄積されてきたと思う。そろそろ、この蓄積を人に伝えてゆかなくてはならないと思っている。農業をやりたい思いを、即、実現できる方法を伝えたい。
こちらはもう少し本格的な農業の方だが、農の会自体も、農業研修の検討に入ろうとしている。これも重要な一歩だと思う。
家の脇に作る、「最小限の家」は最小限の暮らし小屋にしたい。食の自給を、体験してもらう家にしたい。田んぼはこんな方法がありますよ。畑はこんなが良いですよ。鶏はこんな風に飼いますよ。これを実体験してもらう家にしたい。11月11日が、最小限の家の集まりです。