有機農業と雑草

   

 

 有機農業は雑草との戦いである。長年戦ってきた結果、除草剤を使うのは良くないとは言えなくなった。除草剤は危険だから使ってはいけないと主張する人には、一度田の草取りをやって見ろと言いたい。草取りを1週間やり続けてから、除草剤を使うな言えるとは思えない。

 まだ田んぼの経験が浅い頃、田んぼに草を生やしてしまい、連日朝から晩まで田んぼで手取りで草取りを続けた経験がある。二反の田んぼだったのだが、一通り草取りが終わる頃には、最初に取ったところには、また草が生えていた。あの草取り地獄を経験してから、農業に関する考えが変わった。

 農家の人の農業に批判めいたことは考えたことも無い。ありがたいことだと思うだけである。問題があるのは、肥料会社や、農薬会社である。環境に対して影響のない農薬や化学肥料を作る努力をしなければならない。もっと研究すべきなのだ。遅効性肥料など、だんだんに解けるプラステックカプセルに肥料が込められている。

 マイクロプラステックを自然界にばらまく肥料である。こんな形の肥料を作るなど悪魔の仕業である。しかもそれを許可する政府は悪魔の支配者と言うことになる。ところが少量だから、自然界には関係ないというのが見解である。人殺しはしたかもしれないが、数人だから問題はないという論理だ。道徳心などまったく欠落している。こんな肥料はいらない。

 雑草の問題である。雑草はすさましいものだ。正直手に負えない。石垣島の環境では野菜作りは雑草に負けてしまう。石垣島での草との関わり方はまだみえない。叢生栽培など暢気なことは言っていられない。雑草を克服してこそ有機農業と言える。だから先ずは田んぼが良いと思っている。

 1家族が2畝60坪の田んぼの草取りが出来ないのであれば、それは自給の能力がないということになる。それでも草取りには技術がある。雑草を出してから取るのではダメだ。雑草を生やさないための努力をしなければならない。

 草対策は早めのコロガシ2回と手取り2回これくらいで何とかなる。一回に2畝ならば2時間ぐらいだから、合計8時間である。これに耐えられないというのでは、主食を自給するという能力がないと言うことになる。もちろん能力が無い人は沢山いるので、それは仕方がない。

 自給農業は自分の作りたい人がやる農業である。やりたいという人が、努力してやる農業である。叢生栽培だから草取りはしないなど、暢気なことを主張している人はまず収穫まできちっとしなければならない。農業は遊びではない。遊びでやることは農地に対して不遜である。農地は生産をして始めて美しいものになる。

 自給農業では農薬化学肥料は使わない。有機JAS法の基準に従う。それは誰にでも分かりやすい基準だからだ。後は不耕起だろうが、直播きだろうが、冬期湛水だろうが、炭素循環農法であろうが、自然農法だろうが、何でも自分の好きにやればいい。

 しかしどの農法であれば、100坪で家族が食べる分が採れないようでは自給農業とは言えない。それはただの遊びだろう。遊びは良くない。遊びで農業をやるとすれば、農家を愚弄している。農地に敬意を払わなければいけない。農地は天から借りている大切な土地だ。生きている間使わせていただいている。全力で対さなければ自然に対して失礼なことになる。

 雑草は生やさないことだ。生やして取るのではなく、出さないことに全力を費やす。出さないようにする努力の方が、出してから取る努力よりはるかに少ないからだ。田んぼで雑草を出さないためにはコロガシとアカウキクサである。コロガシは田植え1週間後くらいからタイミングを見て、2回である。

 アカウキクサの増殖にはまだ研究が足りない。アカウキクサを増やすことが石垣の稲作には一番重要な課題になると考えている。アカウキクサはリンを好むらしい。リンをどういう形で与えるかが、これからの研究課題になる。化学肥料を使うわけにも行かない。何かを持ち込むこともしたくない。

 コロガシは縦横をやるから、4回おなじ場所を通ると言うことになる。深くゴシゴシとやる。9葉期ぐらいまでのの稲の根を切ることは稲にとって良いことになる。その後稲の根が田んぼ一面に広がる時期になる。この頃は10葉期に入り田んぼの地表面に光が通りにくくなっている。光が入らなければ草は生えない。

 田んぼは早い段階で雑草は抑えきること。その後は軽くひろい草に入るぐらいである。この頃に残っている雑草は種を残す可能性があるので、すべてを取り去る必要がある。上手くコロガシやアカウキクサが抑草してくれていれば、さして手取りをする必要は無いはずである。

 草との戦いは、停戦状態である。いつも抑え込むための努力をしなければならない。それが出来ないのであれば、自給農業が出来ないと言う事だ。叢生栽培とか、自然農法とか、不耕起とか、様々な方法があるが、結果的に田んぼで畝取りが出来ないのであれば、それは正しい農法ではない。

 収量にすべては表現されると考えている。植物を満作に育てる農業でなければ、良い収穫物を生産できない。植物が元気で、最高の成長をしたときに一番良いお米が実る。枯れかかった自然栽培の稲に実ったお米では良いお米とは言えない。良い農法であれば、畝取り以上になるはずだ。それ以下の収穫であればまだ何か残された課題があるのだ。

 まだ石垣の田んぼでは畝取りが出来ない。あわててはいけないと思っている。畝取りが出来る土壌を作り出すためには5年が必要だと見ている。一番は腐植の不足である。腐植を増やして、微生物が活動できる土壌にしなければならない。腐植を増やすためには最低5年が必要である。

 コロガシを入れなければならない。水が少ないので、そうしなければ土壌が腐敗方向に進む。クン炭を作り、クン炭を田んぼに入れる必要がある。クン炭を入れれば、土壌が腐敗方向に進むことを防げる。クン炭作りをしなければならない。

 土壌は湿潤状態を目指している。湛水状態にするだけの水がないことが多い。湿潤状態で草を生やさないための努力をするほかない。そのためにはコナギを広げないことだ。コナギに種を付けたならば、一気に田んぼにコナギが広がる。溜め池のコナギに種を付けないことしかない。

 ひこばえ農法の場合田んぼを大きく耕すと言うことが無い。田んぼを耕さないで、草を抑えきるためには、草を取る努力をする以外にない。初めてのことなので、土壌がどんな方向に変わって行くかまだ分からないことが多い。今のところ、一期作よりもひこばえの方が勢いが良い。

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