2024年12月田植えのイネ作り


1番田んぼ15日田植え。


12月14日田植え2番田んぼ

12月8日田植え3番田んぼ

12月8日田植え6番田んぼ
12月に晴れると石垣島はすばらしい日になる。気温は20度ぐらい。風は費かくて穏やかになる。今年はこんな素晴らしい日が幾日もあった。田植え前後は雨も多くて少し不安もあった。田植えが過ぎてからは、10m位の風が何日か吹いた。これでいくらか苗の活着は遅れた。
しかし、その後は割合穏やかな比も増えてきてまずまずの日が続いている。今年は11月5日浸種苗代種まきが10日。3番と6番田んぼは4週育苗で4.5葉期になった苗を12月8日に田植え。1番は5週育苗で、15日田植え。2番田んぼ14日田植えだった。
その後2週間と3週間が経過して、何とかなりそうな気がしてきたところで年が越せそうだ。今のところ4週育苗の4.5葉期苗の田植えの方が良いようだ。この早い田植えの田んぼにしたことはのぼたん農園の今年最大の冒険である。まだ田んぼを見るのが怖いような心境である。
まだ石垣島の稲作法が見つからない中、適合する品種がないと言うことがある。「にじのきらめき」をやることにした。台湾の品種ならばと考えたが、やはり味覚的には少し問題がある。出来ればジャポニカ種の方が良いと思われる。そして、ひこばえ農法を考えるとジャポニカ種である。
今のところ日本で作られている品種の中では「にじのきらめき」が一番石垣島向きではないかと判断した。味覚の点でも比較的評判が良いし、何よりも耐暑性が強いと言うことが言われている。その上で、私が好きな多収米である。さらにその上で、農研機構の中野先生が「ひこばえ栽培」をしている品種である。
品種を変えることに加えて、種まきから田植えを石垣で最も寒い季節に変えることにした。理由は石垣島には冬が無いからである。小田原の5月後半が、石垣島で一番寒い1月である。だから田植えを5月にすると言うことは、石垣島なら12月でも十分気温は高いのだ。
今朝の気温は18度である。稲に最適な気温を考えると、最も石垣島では寒いと時期になる。そこで11月から始める稲作に合理性があると考えたのだ。ただし、石垣島の農家の皆さんは、どなたもそういうことはしない。何か理由はあるはずだ。
想像される一番の理由は、かつて台中61号を作っていた頃の慣習が残っていると言うことである。そのままの栽培暦で「ひとめぼれ」を作っている気がする。農家の方は大きく変えるという冒険はしないものだ。また県が奨励品種をひとめぼれに変えたときも、栽培暦は変えないで実証実験をしている。
科学的に考える問題点は、日照時間が短いと言うことは確かにある。しかし日射量で考えると少ないことはないというのが私の考えになる。石垣は冬の陽射しでも、日焼けをするのだ。本土の7倍の日射量がある。日は長くなり始める季節に入る冬至を過ぎたのだから大丈夫と考えた。
育苗では全く問題が無かった。問題が無かったどころか、今までの育苗よりも良い苗になった。5週育苗では5.5葉期で分ゲツを始めた苗であった。小田原で作る苗と変らないものになった。堅さと太さはいくらか足りなかったが、30センチ以上だった。1㎡70グラム蒔きが良かったと思われる。
大苗の田植えは風に痛められる。確かに石垣の強い風は苗を枯らしてしまう。そのために田植えしてすぐに防風ネットを張ったが、田んぼによっては不十分だった。何故か3番田んぼが一番活着がよく、枯れた株はほとんど無かった。
いつも風にやられにくい1番田んぼが今年は意外に風に痛められた。風向きが違ったかも知れない。先入観が災いした。風対策はのぼたん農園では重要である。一番田んぼは始めてトラックターを入れたために、真土と石が掘り起こされた。土壌ができていないと言うことになる。
1番田んぼでは2週間目からコロガシを開始した。活着は今ひとつなのだが、雑草が出てきているからだ。早めに抑えておくことが重要になる。田んぼの代掻きを早く深くした。岩盤を崩さなければならなかったので、一番田んぼは始めてトラックターを入れた。そのためにコナギの種が表面に出てきた。
かなり枯れた株が有り、補植はかなり行った。まだ欠けている株があるが、致し方ない。30㎝角植えなので、いくらか足りないでも何とかなるだろう。土壌はかなり深く掘り返した。トラックターが動けなくなるぎりぎりだった。本来であれば、田植え前に上代掻きをやる予定が出来なかった。

水神様に正月のお祝いを供えた。 去年は水不足で大変だったので、雨を降らせてくれるように、とお願いをした。困ったときの神頼みであるが、水対策のやれることはすべてやった。あとは、人事を尽くして天命を待つ以外にない。田芋が覆ってしまい、見通しが悪かったので水神の機嫌が悪かったかも。
田芋は下の8番田んぼに移した。今年は今のところ10番田んぼまで水が行っている。8月からだから、半年は10番まで水があったのだ。やはり普通に水があれば、最初の計画通り10の田んぼは出来たのだ。これは最初にのぼたんの湧水を見たときの見立て通りで2反の田んぼは出来る。
2反と言うことはひこばえ農法の3期作を考えれば、のぼたん農園で20家族が食糧の自給で暮らせると言うことになる。そのつもりになれば、争いや競争などすることなく、安寧に人間は暮らして行けるのだ。何としてものぼたん農園の冒険を達成しなければならない。
はっきりした人数はわからないが、のぼたん農園のラインには42人の人が居る。いつも見てくれる人が39人は居るらしい。3年目にしては素晴らしい前進である。この楽しい大冒険が、人類の未来に繋がっていると大げさに考えている。
来年は農業技術の確立である。「ひこばえ農法」「アカウキクサ農法」何としても確立しなければならない。一年で見えてくるとは思わないが、3年間の数々の失敗がいくつかの方角を示してくれている。できる限りの事をして、方角だけははっきりさせる年にしたい。