好きなことをやることが出来る。

   



 好きなことが出来る毎日が素晴らしいと思う。今も「のぼたん農園」の冒険を続けている。これは幸運なのだと思う。良い両親がいて、好きなことをやればいいのだと励ましてくれた。能力など関係ないから、好きなことを見付けろといつも言ってくれた。どんな職業に就くのか聞かれたこともなかった。

 戦争で両親とも好きなことをやりきることが出来なかったからだと思う。暮らして行くことは何とかなるものだから、好きなことさえ見付ければ後は何とかなると言ってくれた。両親の御陰で、ごく普通の人間が75歳になり、好きな農場作りをやっている。

 人より粘り強くやれると言うことが自分の長所かと思うが、それは好きなことだからなのだと思う。田んぼをやっているのだが、やりたくてしょうがない。ともかく面白いのだ。田んぼほど面白いことはないと思う。イネ作りには日本人に繋がる様々な事が潜んでいる。

 田んぼを始めて40年近くなるのだが、まだまだ分らないことばかりで、試してみたいことが、次々に出てくる。「ひこばえ農法」「あかうきくさ農法」いずれも稲を人間が作物にした、約1万年前の中国の珠江中流域が稲作の起源とされているが、二つの農法はその付近で行われてきたものだ。

 珠江中流域起源説は、三島にある遺伝学研究所のゲノム研究の成果である。国立遺伝学研究所は木村 資生博士が作り上げたもので、先生のおられた三島に作られたものである。木村先生は洋蘭が好きで、洋蘭の関係で先生のお話を直接伺うことが出来た。一流の研究者に親しく接することが出来たことはまたとない体験だった。

 珠江中流域の気候は石垣島と似ている。石垣島で良い稲作が出来ないはずが無いと考えている。中国のベトナムに近い場所だ。そのことは見付けたのは倉田のりさんである。以下はその発見がどういうものかまとめたものを掲載させて貰う。

 「あるとき、野生のイネの中に栽培化に適した性質を持ったイネが現れ、私たちのご先祖様がそのイネを選び抜き、育てたことで、私たちが現在食べている栽培イネが種として確立しました。野生イネを栽培化し、農耕により安定的に食糧を得ることができるようになったことは、私たち人類にとってとても大きな意味を持っていたことが想像できます。」

「 野生イネが3つのグループに分かれるということを見出しました。ここで次の疑問です。では栽培イネの直接的な先祖は野生イネの3つのグループのどれになるのでしょうか。ここでもゲノムの違いを比較することにより、どれとどれがより近い親戚関係にあるのかがわかります。」

 「分析の結果、栽培イネの中のジャポニカは野生イネの3つのグループのうちのひとつの、その中のさらに小さな集団から生まれたと推測されました。 ついに栽培イネが中国の珠江中流域の野生イネから生まれ、その野生イネの中のある小さな集団からジャポニカが生まれたこと、さらに東南・南アジアの野生イネとジャポニカの交配によってインディカが誕生したと突きとめました。」

 1万年前に栽培稲が生まれたことで、中国に文明が起こることになる。そして3000年前にイネ作りが日本に伝わることで、日本という一つの文化のまとまった地域が作られることになる。人間は食べ物から出来ている。食べるもので人間のすべては出来ている。

 私という人間が自分の体力だけで、自給自足が出来るかを30代後半に試した。それは結局田んぼを作ると言うことになった。田んぼによって自給生活が可能になった。古代文明はすべて滅んだ。食料の再生産が出来なかったからだ。イネは連作が出来る。肥料を田んぼで生産しながら、イネ作りを続けられる。

 これほど優れた主食を持つことができたと言うことで、平和な民族が形成された。争わずとも安寧に暮らすことが出来たのだ。米以外を主食にした民族は、食糧確保の困難さから、限界に達することで他民族を略奪することになる。

 永続可能な自給自足生活をする基盤は、田んぼにあると考えた。自分の好きな田んぼ作りが、平和な人間の暮らしの基盤にあるということの気づきに、大きな喜びを感じた。私が好きな田んぼを続ける事は、次の社会のヒントになるのかも知れないと考えるようになった。

 好きなことを思う存分やることが出来る。しかも、田んぼのイネ作りが資本主義社会の限界を超える方法になるかも知れないと考えるようになった。循環型社会である。拡大再生産ではなく、同じことが繰り返されて行くことに、豊かな人間の暮らしがあるという社会だ。

 そのことに気付いたときに、修学院離宮を思い出した。天皇家が日本人のあるべき姿を模式図化したものだと言うことを想像した。それなら私は、百姓として自給自足の農園を作り出そうと考えた。それがのぼたん農園である。私の最後の冒険になると思った。

 80歳までは身体は動くだろう。百姓仕事も出来るはずだ。この好きなことに残りの時間を注いでみようと思った。絵を描くことは自分の問題である。のぼたん農園は自分だけのことではない。未来の人間の生き方に繋がっている。好きなことをやり尽くすことが未来に繋がっている喜び。

 特別な能力はないが、好きなことはある。これが私の幸運であった。運命と言っても良い。イネ作りを石垣島で行うように、ここまで来たような気すらする。山北の山中で田んぼを作ったときから、すでに始まっていたような気がする。農の会での田んぼ作りも、石垣島ののぼたん農園に繋がっていた。

 能力も才能も少ないが、仲間が居る。能力のある人に手伝って貰える何か幸運がある。助けて貰えるのも有り難い運だ。みんなで力を合わせなければ、のぼたん農園の未来に繋がる冒険は、達成することは出来ない。41人の心強い仲間が居る。

 3年でここまで来ることが出来た。残り時間は7年間だ。運があれば7年間百姓仕事が出来るだろう。身体が動けば、何とかなるはずだ。いよいよ水牛牧場も始める。家畜の問題を考えたいと思っている。「人間が人間になるためには家畜が必要なのかも知れない。」これが新しい課題である。

 イネ作り、絵を描く、家畜を飼う、果樹園を作る。生きている限りのぼたん農園で絵を描きたいと思う。それが好きなことで生きる喜びである。みんなが好きなことをして生きられる社会になることが願いだ。そうなれば争うことなどなくなると思う。
 

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