安倍晋三の不思議な保守主義
安倍晋三氏は保守政党の代表である。その為に保守主義者ということになっている。ところが、安倍氏は、日本社会の慣習的なものや、伝統文化に対する変革者である。ここに至って移民受け入れを宣言している。何故、日本の保守主義者が、安倍晋三氏を後押しするのかが、もうわからなくなってきた。総理大臣にしてやり、木偶人形扱いしていたら、本人が偉いと思い込んで独走を始めたという事かもしれない。安倍氏は憲法や法律を解釈で簡単に動かしている。前例を重視する保守主義者というより、前例を無視する独裁者的資質のようだ。保守主義者が移民法を作り人手不足を補おうという考え方をしている。どう受け止めればよいのだろうか。本当につかみどころがない。この移民法は何も決まっていないまま、まともな議論すらされないまま衆議院で可決した。全てがこのやり方である。憲法すらこの手法で行くつもりだ。議論を避ける所が一番良くない。国会というものが完全に機能しなくなっている。日本社会を変えてしまう可能性のある法律を何故議論しないで済ませてよいのか。アベ政権に任せてくれれば悪いようにはしないというのでは、立憲民主主義は終わりだ。
移民法が成立した後で細部は決めるから任せてくれと言う、安倍ご都合主義の真骨頂である。こうして日本社会を経済一面だけを見て、変革させようとしている。こんな杜撰な移民法は反対である。世界情勢からして、中途半端な態勢で移民を受け入れることは、日本社会の崩壊につながる。人手不足どころではない。世界で起きている国家崩壊の波を日本が被ることに繋がる。先ずは日本社会の建て直しである。今研修生として受け入れるという50万人どころか、その数倍の日本人が、引きこもりで自宅にいる。準引きこもり層を考えれば、労働人口の問題はここにあると考えるべきだ。この人たちをそのままにしておいて、人手不足だという。この考えの背景にあるものは、憲法に守られていて扱いの難しい日本人よりも、外国の安い労働力の方が良いという本音ではないか。日本社会のゆがみは日本の企業の競争力主義が生み出したものだ。このおかしな社会に適合できない人間が増加するのは当然のことだ。このことに目を向けずに、緊急的に外国人労働者を受け入れるなど、論外である。
女性の雇用の問題も人手不足には大きく影響している。少子化の背景に、子供の育てにくい社会がある。子供を社会全体で育てるという、日本の慣習が消えてきている中で、新しい社会としての受け皿が用意されていない。その付けが母親の負担になっている。子供を預ける場所がないので、母親が働けない。こうした事が人手不足を産んでいるのではないか。保育園の整備が緊急対策としてできない。子供がうるさいから保育園反対などという人間が増えているのだ。移民に対しても受入体制はそう簡単なことではない。定年退職者の再雇用のこともある。人生100歳時代だとすれば、65歳を超えても働ける人は居る。働きたいという私たちの年代の人が働きやすい場を作り出せば、すぐにも50万人程度の労働力は確保できる。緊急対策としてやるなら、一年間雇用期間を延ばし、それに対する税優遇を行えばよい。もし日本人と同様の社会保障を前提にして移民を受け入れれば、国としての財政負担は大変なことになる。移民は低賃金である。低賃金であれば税金はそれほどは払わない。そして、教育や社会保障、医療を日本人同等に行うとすれば、日本の税金不足はさらに深刻化するだけである。恐ろしいことは日本人の大半の人がそういう事を承知のうえで、人手不足で自分が困るのだから仕方がないという考え方に落ち込んでいる。
問題は賃金に集約される。地方社会が子育てや教育など負担していても、地方で就職はしない。その挙句に退職して故郷に戻ってくる。その為に地方社会は負担ばかり増加する。外国人研修生の方が労賃が安い。文句も言わせない。文句を言えば解雇。あるいは逃げ出してくれる。安易な転化なのだ。本来であれば、人手不足は賃金の上昇で補える。これが自然のことだ。介護職員が不足しているとするなら、不足しないところまで賃金を上げればいいのだ。賃金を上げれば経営が出来ないので、外国人研修生で埋めようという発想。これでは解決どころか、問題の先送りに過ぎない。何故、介護現場が安い給与なのか。それは、賃金体系が学歴に象徴される、知的能力に偏重しているからだ。肉体労働が軽く扱われている結果だ。社会を動かしている既得権益の高学歴人間たちが、自分たちの既得権を守っているに過ぎない。