国家資本主義では自由に生きられない。

   

小学生のころは未来の社会は今の現実社会よりも、当然良くなるのだろうと思っていた。父が明治大正の時代をひどい時代だったと常々言っていた。迷信がはびこっていた暗い空気と封建社会の家長制度を特に嫌っていた。それが戦後社会はずいぶんよくなった。戦争に負けたことも悪いことばかりではなかった。もし日本が勝っていたら、よほどひどい社会になっただろうと言っていた。父は次男であり長男と食事まで区別されていたことがとても不愉快だったようだ。長男以外は上ってはいけない部屋があった。私も一度だけ体験がある。油川の本家に行き上の座敷には上げてもらえず、一段低くなった台所で食事をさせられた。こういう事かと封建制度というものを感覚で理解した。台所で一緒に食事をした女性たちは全くその状態を受け入れていて、何の意識もなかった。むしろ気ままで楽しそうだったことが却って印象的だった。1950年代は確かに世の中は一年ごとに良い方向に変わった。国家主義から個人主義への転換。

親を批判するときには封建的という言葉を使うと決定的であった。まだ迷信は残っていたが、消えてゆくのように見えた。親の祟りが子にのような思想が、まだ戦後社会にも普通に蔓延していた。封建制と迷信。その背景にあるものは貧困。自由で豊かなアメリカのようになれば明るい社会に変わるとなんとなく想像していた。敗戦からの復興とともに貧困というものは消えていった。普通に働けば、徐々に生活は良くなって行く。高度成長期においては、日本が世界一の経済大国になるというようなことまで言われた。貿易立国である。安い、勤勉で、優秀な労働力を背景にして、日本の製品の評価は日増しに高くなり、年々日本は豊かな国に変わった。豊かになるとともに国というものより、個人の生き方が大切にされるようになった。その時期に成長期を過ごした年代が団塊の世代である。未来社会での自分の暮らしに希望を持てる時代。ところが、70年には社会は転換期を迎える。このままでは多くの日本人が持っていた、希望に満ちた豊かな日本社会は不可能だという事に気づき始めた。日本が自信というものを失う。と同時に明治日本に戻る兆候が表れ始める。格差が強まり、階級社会の再現。民主主義の弱まり国家主義の台頭。

社会の変革は出来ないまま、大学紛争程度に矮小化されて過ぎ去った。そして日本社会は予測されたような閉塞した階層のある社会になった。世界に国家主義が復活を始めた。明治時代の迷信と封建性は形を変えて復活をしたように見える。その背景には貧困の出現がある。貧しいがゆえに、差別というものを無意識に受け入れてしまう。差別されていると見える若年層にはそういう被差別意識はむしろ少ないように見える。差別社会というものには自覚がないようだ。何しろその若年層が、貧困層などないと考えている人が多数派のようだ。このまま進むことになると貧困層がトランプを支持したように、外国人移民を差別することこそ、自分たちの優位性を感じられるという事になりかねない。日本に外国人労働者が入るという事は、日本の貧困層対策にもなるという意図が隠されている。階級社会は士農工商の下に、もう一つの階級を設ける。

小学生のころには貧困は無くなると考えていた。未来社会はアメリカのホームドラマのような、自家用車に乗って、電気冷蔵庫のあるような暮らし。差別も人間がマシになり無くなるように思っていた。アメリカの現実を知らずに、希望だけを感じていた。社会は一人一人の自由を認めるようになるのだろうと思っていた。それは科学の進歩のように、黙っていても自然に良くなってゆくものだと漠然と考えていた。所が科学の進歩が良いことばかりでなかったように、社会は希望を失い、個人の尊重よりも国家が言われ始めた。アベ政権の目指す、経済至上主義の結果が、階層社会を作り出そうとしている。階層は徐々に明確化し新しい形の貧困層が生まれている。同時進行的に民主的な社会は日に日に後退している状況ではないだろうか。日本には特権階級が生まれ始めている。その為の国家主義なのであろう。能力のある人は優遇されるべきだという考え方が普通になり始めている。 経済戦争の中で、国家資本主義の台頭。国家の為の能力主義が人間の自由を奪う。問題はここにある。

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