忖度の国日本
日本の文化が忖度に基づいているのは、瑞穂の国ゆえのことだ。水田の文化は忖度を育む。安倍晋三記念小学校、安倍昭恵名誉校長は忖度利用小学校なのだ。籠池氏にはこのように書けば寄付金が集まるだろうという、醜い欲がある。ただ籠池氏は美しい日本を作るためには、この程度の悪だくみは、大目に見てくれるだろう。少なくとも断られるまでの期間は使えるだろうの思惑はあった。そんな調子だから、断られてからも相当期間使っていたことも確かなようだ。しかし、この汚い右翼人間に何故、昭恵夫人が引っ掛かったかである。安倍晋三氏も一時は騙されていた。それは、二人が純粋な右翼人間だからである。世間知らずの二人は様々に利用され、操られてきた木偶人形なのだ。昭恵夫人が良い人だからなどという事は、悪意の前では扱いやすいどうにでもなる名前に過ぎない。たぶん、籠池氏が活動していた日本会議の内うちの世界は、こういう魑魅魍魎がうごめいていることだろう。田母神氏のような、理解しにくい退職自衛官もいる。保守政治家が200人以上加入しているというようなことだ。
日本会議を分かりやすく映像的に書けば、靖国神社に日章旗を掲げ参拝して、天皇陛下万歳三唱し、明治の御代の再現を願う人たちである。明治帝国憲法を金科玉条とする。また、日本会議は新興宗教界や、経済界にも深いかかわりを持っているようだ。それは、アベ政権が軍国主義より、大企業の利益を重視する政策をとることでもわかる。アメリカに占領され、日本国憲法を押し付けられたと怒る割には、アメリカの経済力を利用して利益を得ようという拝金主義が目立つ。その点籠池氏の汚さと同じだ。一見、精神主義に見えるが、金権主義そのものである。安倍氏はこの日本会議を忖度して、籠池の接近を許し、付け込まれた。権力というものは実は忖度されるものであると同時に、忖度するものでもある。昭恵夫人の行動も純粋に見えて、何かを忖度して動いている。その忖度にどこかからの示唆が加わっていると思われる。
総理婦人であるからまといつこうという人たちだ。籠池氏もいれば、日本会議の面々もいる。財界関係の人も居れば、報道関係の人も居るだろう。きっとその中に信頼している人がいる。そういう人の示唆が名誉校長を引き受ける結果になってしまった。もちろん、安倍晋三氏もそれを承認したわけだ。当時は森友学園を評価し、講演まで引き受けている。それには政治家としての忖度が働いている。こういう行動をとれば、自分の評価が上がるだろうという思惑である。生身の安倍氏は自信のあまりない人だと思う。大家育ちからくる、人に任せられる特徴がある。この人の判断に任せて、その演出に従い動けるという、特性である。アベノミクスなどと見えを切れと言われれば、平然と自分の言葉のように力説できる人なのだ。まさか、あの経済政策に安倍氏がかかわっているとは私には思えない。
総理大臣がこういう人だと、その周辺の人たちも忖度で動く。論理ではなく、契約でなく、法律でなく、忖度が重視されるようになる。あの人の再就職を世話しておけば、今度あの補助金は忖度されるのではないか。これが文科省の大学天下り再就職である。これは氷山の一角が違法性で浮上しただけである。自民党の議員たちの行動を見ればよく分かる。反主流派がいない。自らの意見を主張できる人は少数派の河野太郎氏ぐらいだ。小泉新次郎も何故農協解体に躍起になるのかと言えば、自民党の農業政策の本音を忖度しているからだ。日本が稲作農業を止めることが、日本の経済に一番だと考えているのだ。農産物の国際競争力とはそういう事なのだ。リンゴが生き残ることの方が、農業として効率がいいという判断。政治の世界が忖度で動いている。言葉化され、議論されることがない。国会ではガス抜き、息抜き程度の議論。どうせ自民の言いなり。それなら、アベ政権にぶら下がろうというのは、自民党員だけではない。公明だけではない。ありとあらゆる権力志向者がぶら下がり始めているとみなければならない。