将棋連盟谷川会長の辞任

   

将棋連盟では谷川会長の辞任になった。谷川氏は人間として素晴らしい人だと思う。しかし、今回の事件では責任者として運営を誤った。三浦弘行9段に対する、ソフト疑惑に対する責任をとっての辞任である。人を疑うという事がどれほど罪の深いことになるのか。これに先立ち渡辺竜王も謝罪を行った。謝罪だけで済む話ではない。竜王の返上が当然の責任の取り方である。何故なら、対局相手に対する尊敬の念がないからである。それではこれからの将棋世界は成立しない。自分が竜王なのだ。竜王は誰よりも尊敬されるふるまいでなければならない。もし相手にソフト使用の疑いを感じるのであれば、将棋連盟に対して、お互いにソフトを使えなくしようと言えば済む話だ。以前、たばこの煙が嫌だから、対局時に禁止してもらいたいという話はあった。ところがタバコを吸わなければ思考できない棋士もいて認められない。大山名人は扇風機を持ち込み相手に向けて風を当て続けたそうだ。扇子のぱちぱち鳴らす音が迷惑だからやめてもらいたいという抗議もある。こういうことを含めてすべてが戦いなのだ。その根本に相手に対する敬意がなければ将棋は文化ではなくなる。

渡辺竜王は三浦9段が挑戦者になった時に、三浦9段にたいして疑惑をぶつるだけで、自分が有利になるだろうという勝負師としての計算は無意識かもしれないが、あったはずだ。無意識でもそういう事をしてしまう可能性は、将棋指しの習い性のなかにあるのではなかろうか。三浦9段に対しては久保9段からそいう疑いの意見が、すでに出ていたという事だ。それを聞いてつい渡辺竜王は反応したのだろう。調子者の橋本9段は1万%クロだと叫んでしまった。こうして、三浦9段はソフトを悪用したというレッテルが張られた。今もその疑惑が晴れた訳ではない。証拠が出なかっただけだ、調査員会の調査がどこまで行われたのかなど。様々な疑惑は残ってしまった。私は事件を聞いた途端にそんなことを三浦9段に限ってする訳がないと思い、そのように書いた。その判断は正しかった訳だ。報道はソフトカンニング事件として面白おかしく取り上げていた。これは人権侵害に等しい。

今回の事件は将棋というゲームが、コンピューターの登場で性格を変えてゆくという事だ。コンピューター将棋は時々する。ソフトの強さを私と同等に設定して戦う。勝ったり負けたりするぐらいの強さである。頭の掃除ができる。繰り返している内に私の方がだんだん勝つようになってしまう。それで気分はいいのだが、又、五分五分に直そうと思うのだが、まだその設定の仕方が分からない。ソフトの手筋がだんだんに読めてくる。ソフトは同じところで同じように間違う。人間とやるのとは違った面白さがある。将棋はミスをした方が負けるゲームだという事がわかる。良い手が勝利につながるのではなく、悪い手が敗北になるのだ。勝因よりも敗因を考えなくては強くなれない。これは、何でもそうかもしれない。成功した原因を考えるより、上手く行かない理由を考える方が有効という事。ところが人間は勝因におぼれるものだ。私がコンピューターから学んだことだ。

渡辺竜王は竜王を返上することだ。疑ったという罪をそれによって償わなくてはならない。それによってはじめて、将棋指しの人格というものが、伝統文化の先生と呼ばれるにふさわしいことになる。渡辺竜王は「将棋のわたなべ君」という漫画の主人公だそうだ。奥さんがその漫画を描いて居るらしい。ノンフィクション漫画だそうだ。この卑怯な手段で、三浦9段を退けた手口も、かわいらしいわたなべくんの無意識の悪意という事なのだろうか。もし、竜王の返上がないと、将棋界は衰退の一途だろう。敗因から学ばなければならない。このままでは、ソフトよりは弱いが、人間としては強い方だぐらいのことになる。尊敬される文化人という立場が、無くなる。強いだけならソフト先生だ。将棋界はこのことを深く考える必要がある。私は、人間と指すよりソフト君と指す方がましだと思っている。

 

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