象徴天皇の意味

   

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は以下の人々に意見を聞くことにした。石原信雄(元内閣官房副長官)▽今谷明(帝京大特任教授)▽岩井克己(ジャーナリスト)▽大石眞(京都大大学院教授)▽大原康男(国学院大名誉教授)▽笠原英彦(慶応大教授)▽櫻井よしこ(ジャーナリスト)▽園部逸夫(元最高裁判事)▽高橋和之(東大名誉教授)▽所功(京都産業大名誉教授)▽平川祐弘(東大名誉教授)▽古川隆久(日大教授)▽保阪正康(ノンフィクション作家)▽百地章(国士舘大大学院客員教授)▽八木秀次(麗沢大教授)▽渡部昇一(上智大名誉教授)有識者会議のメンバーどうも聞く人がおかしいようにも思うが、どういう結論が出すのか興味深いものがある。だいたいメンバーを見れば何を言うかなど想像がつく。つまり結論は出ているともいえる。国民90%の生前退位容認の感覚とはかけ離れた意見を聞くことになる。政府は時間稼ぎをしている。

平川氏は昭和天皇が天皇の役割を拡大解釈していると、政府の諮問機関で意見を述べた。象徴天皇が行うべき役割を、先日ビデオメッセージで述べた点に関するものであろう。天皇が全国を回り国民と親しく話す。あるいは海外での戦地での慰霊。災害地域の慰問。こういうことを平成天皇は象徴天皇の役割と考えている。平川氏はそれを拡大解釈であると明確に意見を述べた。では、平川氏は象徴天皇はどのようなものと考えてのことであろうか。それを述べなければ意見とは言えない。日本の天皇家の意味は、国政に直接関係せず、「続く」ことにより、そして「祈る」ことにより、民族の象徴となっていることにある。万世一系という命の永続性こそ、今の憲法が定義する「国民統合」や、世間が目を向けがちな「皇室外交」より、さらに大事な歴史的意義があると私は考えている。

私が考える象徴天皇の役割は、日本文化の象徴である。イザヤペンダサンの日本教の教祖のようなものである。日本というあいまいな枠組みを、文化の側面から体現する存在が象徴天皇ではないかと考えている。それは江戸時代の天皇の姿である。京都に戻ることである。東京という政治や経済の中心地から離れることである。文化庁が京都に移ることと同じである。より日本とは何かが見えるようにすべきだ。徳川幕府の江戸城が皇居で在るのは、明治政府のゆがんだ天皇利用の結果である。想像するに、安倍政権を形成している人たちは、この明治政府における天皇の形の再現を願っている。日本が軍国主義、帝国主義に進む象徴としての天皇である。意見を述べるならそこまで明確に述べるべきだ。天皇の役割に関して意見を述べないで、生前退位の可能性を論議することはできない。天皇は象徴の役割を具体的に明確にした。日本人にとって天皇がどうあってほしいのかということだろう。日本軍を率いてもらいたいなどと考える日本人など、極めて少数派だ。その少数派が安倍政権のブレーンに存在することは確かだ。

日本とは何か、日本人とは何かを考えるうえで、天皇が日本人らしい暮らしをしている存在であることはとても大事なことだ。国民ともっと親しく接するのも良いが、接し方は全国行脚するばかりではない。被災地に行ってくれることは尊いことだ。それ以外は、京都の天皇の暮らしを訪問できるようにすればいい。天皇一家が修学院離宮でやられる農の姿を見られるようにすればいい。直接お目にかかる必要もない。歌会始が京都御所で行われ選ばれたものが、京都にお訪ねすればいいだろう。勲章の受章者も京都に招かれることの方がふさわしい気がする。この機会に象徴天皇はどうあるべきかを議論することが根本である。天皇は象徴天皇の役割はこうではなかろうかと提議された。それを、平川氏のように単に否定するのは学者とも思われない。今のところ一番肝心なこの問題に言及する人がいない。天皇を観念的にしかとらえていない人ばかりだ。そして、天皇を都合よく利用したいかが先行している。法律論など、有識者会議に任せればいいことだ。天皇とは日本人にとって何かをこの際述べなければ、右翼の名が泣く。

 

 

 

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