配偶者控除のおかしさ
税制というものはその国の政治の姿である。政府の考え方は税金の入りと、出に表れる。配偶者控除は無くすという事が当初言われていた。女性活躍の思想から言えば、女性を配偶者と考え、ご主人の収入を主体として考え、ご主人に使える女性を配偶者控除の対象とする。これは女性活躍という事からほど遠いい考え方である。この税の仕組みを見ると家族主義を政府は願っていると考えるほかない。女性は家庭にいて、夫を支える存在で在ればいいと言う、明治時代の思想の復活である。自民党憲法草案にある家族主義というか家長制度の復活を願う精神。配偶者控除など一切なくせばいいのである。ところが政府は選挙対策ばかり気にしている。その為に決定段階になると、又配偶者控除の枠の拡大である。女性であろうが、男性であろうが、対等は当たり前のことだ。まして、一人暮らしの人と家族ものが違う扱いは許されないだろう。
私の家では配偶者の控除があったことは一度もない。農業従事者としてふさわしい給与を出してきた。それが税金に於いて得なのかそんなのかは知らないが、ともかくカヨ子さんは税金を払ってきた。充分な給与を出せたわけではないが、精一杯払った。私は経営者ということになる。カヨ子さんに給与を出せば、私の給与分はない。だから私は常にただ働きであった。税金を考えてそうした訳ではなく、そうしなければおかしいと思ったからだ。私の場合、親の残してくれた家があり、食べるものは家で出来る。恵まれていたと思う。お陰様で雑収入という項目に入るものが入ってくることがある。たまには絵が売れることもあり、ボーナスのようだった。こういう収入は10%の天引きがされている。だから申告すると税金が戻ってくる。今は年金生活者だ。年金の積立金が払えたのは親のお陰だから、親のお陰と言えるのだろう。
税制を変える目的は、格差の解消である。このまま格差が拡大すれば、社会の不安定化が増してゆく。資本主義の弱点はゆきすぎてしまう競争主義だ。競争が努力を生むということはある。競争を他人を犠牲にする競争は、犠牲にされた大半の人が、耐えられないことになる。そして暴力的抑止をしなければ、おさまらなnいい社会になる。利己的な社会のゆくつく先は、差別の社会だろう。社会の格差を解消するのが税制でなければならない。女性活躍は差別の解消でもある。しかし、競争主義に拍車をかけることで、世界との競争に勝とうというのが安倍ノミクスである。日本の問題というより、日本のグローバル企業の問題なのだ。競争で選ばれた、競争向きの社員以外は不要なのだろう。もちろんそれは日本だけのことではなく、世界中がさらにその競争を先鋭化している。それは国家間の格差につながり、戦争という暴力を生み出している。日本がその国際競争にこぼれ落ちかけているということなのだろう。
日本はこの競争から降りて、江戸時代に体験した、自立循環型社会を目指すべきだ。それだけが世界が競争によって、破壊されることを食い止める道だ。日本は全く奇跡的にそうした特殊な実験を成功させた。鎖国という特殊な方法ではあり、世界との競争から遅れた面も当然に目立つ。しかし、平和な社会を継続することができた。江戸時代を考えるときに、その封建制とか、身分制度とか、割る面が強調され、そのよかった面が軽視されている。税金も今よりはるかに安かったといわれる。配偶者控除が150万になることが、差別社会を生んでいるということを考えなければならない。日本国憲法の基本的人権すら守られないまま、憲法を変えようとしている。このままゆくのでは、日本は韓国や、中国や、アメリカの後追いをして、そのまま大したこともできないで脱落するのは目に見えている。