石垣で描いた新しい絵

   

今回は4枚の絵を石垣で描いた。少し新しい絵になったのかもしれない。自分の絵なのに自分でどこに進んで行くのかわからない。絵を描くという事は、自分を一枚一枚超えてゆく仕事だと思う。自分のできることの範囲でやるのは職人仕事だと考えている。常に衰退の中にいる。だから、今出来た絵を見て衰退を確認している。出来上がった絵を見ていても、なぜこのような絵を描いたのかわからない。その時その時で思いつくままに筆を進めているので、ここをもう一度同じようにやろうというようなことは、出来ないし、考えもしない。その場で妄想的なことになっている。2時間ぐらい描くと大体目が覚めるようなことになる。本当にその絵のことが分かるのは持って帰りこうして並べてみて1週間ほどたった時だ。ああ何か変わったという事である。一言で言えば描写的になったのかもしれない。いつも描写的にやろうとはしているのだが、描写の方向が訳の分からない空間であり、風のようなものだ。そこにある漂っている空気を描こうという描写になる。

田んぼにある空、これを描きたい。地面には空がある。地面だけを見ていても空の反映で地面が出来ていることを感ずる。その感ずることに従おうとしている。それがなかなかできないのだが、今回は少しできたのかもしれない気がしている。自分の見ているものに一歩近づけたとすれば、こんなに嬉しいことはない。それは絵を作るという事から少し離れられたという事でもある。要するに後は覚悟である。描写的になるという事は、見えているものが少しづつ具体化してきたという事ではないか。妄想とか、幻覚のように見えているものが、実際の目の前の風景と焦点が合ってきたというような状態。それは石垣という素晴らしい具体的な場があるからではないか。まだ間に合ったという気がしている。自分の眼が風景を見ることができ始めた。そして、石垣には人間の暮らしの風景が残っていた。

正直なところ私の描いてしまった絵など、社会的には価値もへったくれもない。消えてゆく無駄なものだと思う。その自覚も覚悟もある。また自分という存在と同じで、きれいさっぱりと消えて行けばいいかと思う。ただ私自身が生きるという事をどこまで深く踏み込めるか。自分の絵を描くという事がどうしようもなく大切なことになる。このことだけが確かなことだ。だから、より自分の見ているものに食い込んでゆきたい。自分の見ている物の奥底まで行ってみたい。絵面がどうであるとか、良い絵であるという事は二の次のことだ。こうしたことを繰り返し描くのは、自分の中にまだそういう気持ちが残っているからだ。絵というものは社会的な存在ではなくなったが、自分の人間の探求には絵を描くという事が心の中を探り、表わして見るという事で、実にふさわしい方法だと思う。自分の立つ立脚点までは来たというのが、今回の4枚かもしれない。それは言い過ぎなのか。

特に田んぼを描いた絵にはそういう気がしている。描いている途中で田んぼを耕作されているおじいさんが見えた。そしてこの田んぼが石垣で一番美しい田んぼだという話を聞けた。湧き水で作っていること。冠鷲が来ること。一年に一度しか作れないこと。水回りの大変さなどしばらく話して行かれた。儲からないから、後は誰もやらないだろうとも言われた。その時、仲良田川の田んぼのことを想像した。人間が生きる原点のようなものを感じた。その時感じたもので見えている田んぼも変わった。理解するという事で、見え方も変わるという事を感じた。その見えた見え方のままに描いて見たかった。まだまだ、そのとば口である。とば口ではあるが、入り口には踏み込んでいる気はした。このまま何とか10年やれれば自分というものに到達できるかもしれない。そこまでやれれば面白いと思う。全てこれからのことだ。

 

 

 - 4月, 水彩画