第18回水彩人展 搬入日

   

ついに水彩人の搬入日である。東京都美術館に9時30分には行かなければならない。9時20分くらいには入れてくれるので、上野駅には9時10分には絶対に行かなければならない。家は7時にでた。まあ、東京に通っている人は、毎日こういう状態なのだろう。私は事務担当なので、絶対に遅れることは出来ない日だ。電車に何かないかドキドキしていた。都美術館の事務所に一番に書類を出さなければならない。朝の仕事の準備もあれこれあるので実にあわただしい。これも今年限りのことだ。今年これをやりければ、後は次の人にお願いする。5時までで仕事は終わらないだろう。発送などいろいろやり残した仕事は、京橋の区民館に移って行う予定だ。いずれにしても雨である。雨の日に搬入となるととても困難だ。それで出品を取りやめる人もかなり出ると予想される。毎年台風シーズンになるので仕方のないことでもある。

小雨の中の搬入になった。一般の人は83名の入選になった。方向が定まってきている。水彩人の水彩画という意味が伝わってきている気がする。残念ながら、一部に何故水彩人にこの絵を出したのだろうというものもない訳ではない。水彩人展を見たことがないまま出品したのではないかと思われる。絵の考え方、絵を描く意図が違うのだ。良いとか悪いとかの水準で展示作品を決めている訳ではない。水彩人でこれからともに水彩画を研究して行く仲間を見つけている。もちろん同人19名の考えも少しづつ違う。水彩という素材を使い、水彩画の持つ可能性を探ろうと、世界を切り開いて行こうとする志を持っている。この点では互いに厳しい批評を重ねてきたつもりだ。互いの作家としての根底にある探求心が本気で批評をし合える仲間を作り出したのだと思う。それぞれが制作を続けるうえで描け画内のない場になっているし、又さらに進めようとしている。

搬入は例年業者搬入が半分で、後は個人搬入である。短い時間のなかで、間違いなく受付業務を処理しなければならない。皆さんもう慣れてきたので、全体の流れはとてもスムースにすすんだ。午後からの審査は、かなり大変であった。審査員は20名である。今回は会員も2名入ってもらった。最初に松波審査責任者から今年のやり方が提案された。これがまた複雑で、言葉だけではよく分からなかった。そこで、ともかく実際にやってみてどうなるかを確認しようとなり、試験的にやってみて、いくつか修正を加え、進んだ。108名の出品者が居て、その中から83名を選ばせてもらった。私も自分が絵を描いて居るような気持で、制作した人の気持ちになって、その心を探るような気持で見させてもらった。その人間がいる絵を良しとした。是非とも飾りたい絵には2点。水彩人としての可能性が高い人が1点。そして、水彩人とは違うと思われる人が、0点。の3段階評価の初めての試みだった。

水彩人展は公募展である。そして水彩画を探求するための研究会でもある。水彩人には審査がある。審査は水彩人の水彩画の方角に見合う作品を選び出すためのものだ。展示されない人は残念であろうし、また腹立たしいことだろう。水彩人は自分たちの絵の方向を求めて日々研鑽している。方向の違う絵の方向の人と研究することができない。当然展示できない作品も多数存在する。それは、同人であろうと、会員であろうと、一般であろうと何も変わらない。水彩人の模索する方角を探ろうとしている。それがグループ展を公募展に変えた、一つの目的であった。その意味を理解し合える仲間が徐々に増えて、会員が30名となった。そして18回展を迎え事務所としての笹村の役割もほぼ果たせたと思っている。今回コンピュター化を平澤さんが成し遂げてくれた。このことは将来の水彩人にとってとても大切なことになる。私はこれからは水彩画の研究に力を集中してゆくつもりだ。

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