サプリメントの問題点
年を取ると身体のどこか気になるところがあるのが普通だろう。腰が痛い、目がかすむ、手足が冷える。何かと病院通いが年寄りの常。歳を取るというのはそういうことだろう。60でそうなる人もいれば、80でそうなる人もいる。何も悪いところなどないという人は珍しいはずだ。そこに、サプリメントのお世話になろうかなどと思うこともあるかもしれない。もう年寄りだし、後がそうある訳でもない。何か悪いものが蓄積するような年月もない。この際サプリメントを利用した方が良いかもしれないと思うかもしれない。サプリメントと言わず、漢方薬ならという事も同じような心境かもしれない。長年薬というものを拒絶してきた人でも、気の迷いが生じて当然のことではなかろうか。私も昨年からついに、目薬を使っている。ついに来たかという感じだ。歳を取るという身体の衰えに直面せざる得ない。こういう時には妥協的であるしかない。また、妥協の歯止めも必要である。そこでサプリメントのことを考える。
テレビでもインターネットでも、サプリメントの広告があふれている。団塊の世代がそういう歳になったという事だろう。製薬会社も、飲料会社も、まあ、大半の企業が手を出している感がある。どこか具合いが悪くなった人に、そういうものを飲んでみようかと思わせる効果はかなりあるだろう。化学薬剤ではなくて、健康補助食品という位置づけが微妙な良い感じを与える。野菜不足の生活が青汁一杯で補える。というような甘言に乗りそうになる。野菜不足がそもそも問題であることがわかっているなら、野菜を食べるようにすれば済むことである。いや、その方が良いに違いない。どこか不調であるという事は、何が原因かを自己確認しろと言うシグナルである。その大切なシグナルを、もしサプリメントで補ってごまかしてしまうという事の方が怖いことのはずだ。野菜を食べる方が、青汁を飲むよりいいのは決まっている。所が一日の必要な野菜の量は膨大であるから、普通では食べれないという印象が形成されているが本当のことだろうか。
食生活の方に、改善点はある。しかし面倒くさいし、忙しい。食べ物の好き嫌いもある。というようなことをサプリメントで補うという発想は考えない方が良い。薬として必要ということなら、病院に行くべきだ。何故サプリメントが体に良くないかと言えば、必要以上の偏ったものを身体に取り入れれば、肝臓に負担がかかることだと考えられる。栄養補助だから取り過ぎても問題ないと考えるのは危険なことだ。適量なら身体に必要なものでも、一定以上になれば、身体は無理をして処理しなければならないことになるだろう。肝臓に行き、負担をかけることになるのではないか。酒も適量なら百薬の長とまで言われる。黙って排出されればまだいいが、必要以上のものはどこかに影響を与えるはずだ。それは良い影響もあるだろうが、悪い結果にもなる。サプリメントは極端な偏食を続けるているのと同じことになる。
過ぎたるは及ばざるの如し。結局のところ食べ物をきちっと食べる。必要な運動をする。生活を整える。ストレスとの向かい合い方を見直す。そして自分の体がどのような状態なのかを内観する。内観法は頭から足の先まで、体の内部を意識をしながら感じること。勝手にやっていることにだが。体重の変化、体温の変化、便や尿の状態を観察する。という当たり前のことに戻る。それでもどうしても身体の不調は出てくる。その不調の原因を探る。それが老齢化である。受け入れる。衰えて死ぬという、どうにもならないことの受け入れて方である。状況を明瞭に理解することである。その悪くなる中での最善の道を探る以外にないと考えている。多くの生き物の死と向き合ってきて、自分もその一人であるという自覚はある。そうした当たり前の覚悟も自給生活だと受け止めている。