柿渋を作る

   

柿渋を作っている。以前にも一度作ったのだがその時はあまりに臭くてこれはだめになったと思い込んで、捨ててしまった。先日、柿渋で絵を描いている石原さんにその話をしたら、その臭い状態は失敗したとは言えないかもしれないという話を伺った。購入して使っていたものが、全く臭くないので間違えたようだ。あれでいいなら、もう一度やってみようと思い、早速翌日に仕込んだ。9月10日である。8月中の青柿を使うようだが、まだ機械小屋の裏の渋柿は青かったので、使えると思い再挑戦した。遅いとしても、十分渋はある。柿渋染めの色が気に入っている。板に塗っても、染色に使っても、他にない渋みがある。その上に、耐水性、防虫性があるため、家の外壁の板や板塀などの腐植などにも効果もある。なのか、布を丈夫にしたり、木の保存を良くするようだ。渋い内に柿渋を取り、熟したら柿酢を作る。古来日本の暮らしでは柿の木の1本は必要なものだった。

その上に、柿の木というものは風情がある。よく和歌や、俳句にはうたわれてきた。あの一枚の葉の見事さは、他に類するものがないほど立派なものだ。色つやが良いうえに、紅葉での色の変化の微妙さは格別である。渋柿のすごさは、その渋さがゆえに、鳥害、獣害にも比較的強い。干し柿の甘さは甘味料として使われたほどだ。渋柿を余すところなく使うのが、里地里山の暮らしだ。石原さんの絵もそうだったのだが、草木染の色のなじみ方は格別なものである。まあ、なじみすぎて私の絵の色の考えとは遠いものではある。絹の結城紬の白い反物を持っている。素晴らしい布なのに、使い道がない。そこで、この布を柿渋で染めてみようという計画である。染めてみてうまくゆけば袋を作りたい。袋葉10枚ほど作り、種もみの保存袋にしたらどうだろう。袋には墨で大豆種。小麦。二条大麦種。さとじまん種籾。喜寿糯種籾。とか書いてみたい。別段それだけのことだが、なんとなく今から楽しみなことだ。

この黒い甕は3つある。5升壺ぐらいの大きさである。不思議な甕なのだが、奈良に越した中原さんの引っ越しの時に頂いた。中原さんがそこに住む前にいた陶芸家が置いていった甕なのだそうだ。そういえば、中原さんがそこに越す時も手伝いに行って、黒い甕があったことは覚えていた。どんな方かはわからない人の甕だ。これをその方が作ったものかもしれない。どうも釉薬が入れてあった甕と考えるのが良い。釉薬甕が柿渋甕になっている。青柿は小さなかごに1杯だけ採った。それをすぐに4つ割にして入れ込んだ。それを上から包丁でできるだけ細かくように何度も差し入れた。その後すりこ木で上からどんどんと突いた。まあ30分ぐらい適当にやった。そこそこ細かくなったところに、水をひたひた迄入れた。水を入れずにやる方法もあるらしいが、ミキサーを使うようなことは面倒くさい。

上から、絹の布で押し蓋のように抑えをした。その上からビニールをかぶせて、ひもで縛ってある。抑えはいらないのだろうが、布の染まり具合が楽しみだからわざわざ結城紬の絹布を入れてみた。贅沢なことだが、手織りのものが時にはメートル100円にもならないで手に入る。柿渋は完成に2年かかるという説もあるが、すぐにも使えるという考えもある。そこで、段階ごとに染色もして、その違いも見てみようという考えだ。一週間目であるが、毎日1,2回はかき回している。かき回すといっても包丁で、切り刻みながらかき回している。だからだんだん細かくなっている。この調子で2週間やって、絞ろうと考えている。もちろん絞るのも押し蓋の絹の布である。仕込んで翌日にはあぶくが出てきた。柿がだいぶ盛り上がるようだ。包丁を突っ込んでいる間に、あぶくは収まる。ビニールは膨らむことはない。それほどの発泡の力が出ることでもないようだ。今のところ臭いにおいというより、目に染みるような感じである。

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