日本の分岐点
今日本は分岐点に立っている。このことは間違いがないので、どういう思想の持主であれ、どこに向かうのかは責任を持たなければならないのだと思う。分岐点にあるという自覚を持って今の時代を見る必要がある。政府は多数派ではあるが、選挙の矛盾でこうなっているにすぎない。安倍政権の考える積極的平和主義の日本に舵を切るかどうかである。それも一つの道である。それを良い方角と考える人は、自分の頭で考えて、是非その責任を持って判断してもらいたい。また、ふつうに戦争のできる国は嫌だと考える人も、その軍事力を使わないという、理想主義に責任を持って判断しなければならない。日本は経済の困難さにぶつかり、あがいている。経済競争に負けまいと、もがいている。その結果、他のことはどうでもいいのではないか、という気分が蔓延してきた。経済を立て直そうではないか。とすべてをその一点に向けようとしてきた。
戦後の日本が経済の一貫した上り調子の中で、世界中の競争相手の充実によって、停滞を見せ始めた。70年代後半のフランスは今の日本の空気に似たところがあった。すでにイギリスは、イギリス病とか言われて元気を失った後である。経済が停滞するといっても、ヨーロッパの国のように社会インフラが植民地時代に完備してしまったような国と、日本とは違う。私の子供のころには日本は資源のない国だから、人間が学んで頑張るのだとよく言われた。世界と競争するなどという前に、どちらかと言えば頑張らなければ生活ができないという切迫感があった。その後目覚ましい経済成長で、何か日本は、日本人は変質した。衣食足れば礼節を知る、と思っていたがところがどうもそうではなかった。豊かになるに従って、失うものも大きかったようだ。その一番の変化が、生き方の確信を失い、お金に価値を置くことが、何か当たり前になってしまった。
最近手紬の糸や、手漉きの布の興味がある。沖縄の布の文化を学んでいるうちに、日本各地に存在する布のことに興味が広がった。日本の布文化の層の厚さは、学べば学ぶほどすごいものがある。良くもこれだけ手間暇をかけて、布を織ったものだと思う。衣食住の先頭に、衣があるという意味が見えてきた。私の祖母は明治時代に山梨の田舎で、看護婦になった人だ。その人がお蚕さんまで飼っていた。蚕などと、敬称抜きでは話せない家の雰囲気だった。手織りの花嫁衣装で、機織り機を嫁入り道具にお寺に嫁いだ人だった。鶴の恩返しではないが、機織りを夜なべでやっていた。好きでなければやれないことだ。私の母もその影響を受けて、晩年まで機織りをした。その布が今飾ってある。それはウールの糸で織ったものだ。編み物が好きで、ファッション雑誌に掲載されたこともあったぐらいのなかなかのレベルだった。庶民が暮らしの中で布を作るそうした文化はほとんど失われたと言っていい。経済性の問題である。
手織りの布を織るということほど、経済性のない仕事はない。一年かけて一枚の服を作るというようなことであれば、一枚が1000万円くらいの価格になる。イランにギャッベと言うすばらしい絨毯があるのだが、これは1月ぐらいで一枚を織るが、一枚の織り代が6000円だそうだ。日本で行えば、その50倍はどうしてもかかる。そのギャッベは30万円くらいで日本で売られている。機械で作る布と、人間の織る布。その違いは当然あるのだが、手織りの布で暮らしている日本人はもうほとんどいないのであろう。たぶんこれが失われた日本の象徴である。それは、手植えの稲作と同じである。手植えの稲作の中に、沢山の価値があるが、経済性の中で切り捨てられて行っている。人間が生きてゆく価値である。何が日本人の目標であったのか。日本人は何に向かおうとしていたのか。