那覇の対馬丸記念館

   

周防大島 10号 山道から下ってきて港を見下ろしたところだ。何とも面白い空間だった。もう少し何とかなりそうだが、まだここまでである。

天皇ご夫妻が対馬丸記念館を訪問されたことが報道された。自分が恥ずかしくなった。対馬丸記念館の前まで行って、気持ちが萎縮して入ることができなかった。広島の平和祈念館でもそうなのだが、悲惨な形で亡くなった方々のことを思うと、どうしても足がすくんでしまう。天皇が以前から対馬丸に心を止められていたことは知っていた。テレビでは対馬丸のことを詳しく取り上げたドキュメント番組があった。記念館が建てられた理由も知っていた。沖縄から長崎に学童疎開しようとしていた船が、アメリカ軍の潜水艦の攻撃で沈没させられた。犠牲者の数は1476名が判明しているという。対馬丸が学童疎開の子供たちが乗船していることを知った上で、攻撃されたという説もある。ケネディーアメリカ大使は、23日に開かれた沖縄全戦没者追悼式への出席後に、対馬丸記念館を訪問する予定だった。ところが、突然訪問を中止している。アメリカ軍への配慮なのか。アメリカとしてはいい気持ちではないだろう。

ケネディー大使がどのような思いで訪問を取りやめたのかについて批判はできないが、天皇がこの時期に訪れたことは、深い意図を感じる。安倍政権の平和主義の見直しへの危惧。この事件は戦争というものの悲惨を強く表現している。対馬丸は民間人が疎開の為に乗っているもので、赤十字を掲げていた。当時のアメリカ軍の諜報活動によって事前に、船団が長崎に向かうことまで、把握されていたようだ。何故学童疎開の子供たちまで攻撃の対象にするのかという思いもあるが、戦争というものがそういうもので、少しでも功績を上げたいという軍人としての野心もあったのだろう。アメリカ軍としては学童疎開の船とは知らなかったということになっている。父の親友だったという民俗学の研究者だったヤスノブさんという方も、南方から本土への民間人の、赤十字を掲げた引き上げ船に乗船して撃沈されて死亡したそうだ。いつも残念がっていた。戦争に良いことなど何もない。

安倍政権は戦争のできる普通の国になる方針のようだ。その安倍自民党に先の選挙では3分の一の人が投票をした。その結果平和憲法までズタズタにしてしまった。憲法の見直しが日本人の総意とはとても言えない。公明党は予想通りの筋書きの自己保身だけの妥協。平和政党の看板というより、創価学会という宗教が泣いている。今回の与党協議を見ていると始めから終わりまで猿芝居であった。どう訓練して演じさせたのか。自民党の悪代官役の行き過ぎをいさめて、いかにも役立ったかのような見せかけの公明党の芝居。勧進元はアメリカだろう。平和憲法はこれで有名無実になったという結果しかない。こんな形で平和憲法が終わらされたのかと思うと、腹立たしい限りであるが、その自民党公明党の与党に投票した、国民の判断なのだから、それはそれで仕方がない。次にまともな政権が出来たときに、普通の憲法判断に戻す以外にない。

戦争はその目的が自衛であれ、侵略であれ、どこかで対馬丸事件が起こるものだ。そのことだけは肝に銘じて覚悟しておかなければならない。人間が暴力というものを乗り越えられるかである。競争というものを越えられるかである。天皇ご夫妻が、このタイミングで沖縄に行かれ、対馬丸記念館を訪れた理由を日本人は、深く心に留めておくべきだ。天皇は平和主義の日本国の象徴として行動している。世界が危うい方向にどんどん進んでゆく。日本が対抗しようとすれば、同時に周辺国も対抗する。こうして軍拡の連鎖が始まる。その末に起こる悲惨に想像を巡らせるべきだ。武力の均衡による安全思想は、危険な競争へ進んでゆく。安倍氏の卑劣にも積極的平和主義という言葉を使う。悪魔の心と、歴史から学ぶことができない愚かな人間が潜んでいる。日本の平和主義は世界の希望だということを、強く思い続けるしか方角はない。

 - Peace Cafe