アメリカは銃規制を出来るのか。
最悪の児童無差別射殺事件がまたアメリカで起きた。小さな子どもたちが、無意味に銃の乱射で死んでしまったことは、限りなく悲しいことである。これ以上理不尽なことはない。こういう非人道的なことが、経済力世界一の国で起こることが、競争社会の現実である。豊かな競争社会の必要悪なのか。アメリカは世界に対し、人道の正義を押しつけている。確かに、正しい主張の時もあるが、イラクのようになかった大量破壊兵器の為に、フセインをせん滅したこともある。アメリカはまず自分の事をどうにかしなければ、アメリカの正義は自分の都合に従った正義と見るべきだ。まず、銃規制を徹底すべき事は大前提である。力で力を防ごうとしても、弱いものが被害者になる。子供たちが銃で武装など出来ない。銃所持はアメリカの文化、思想の問題である。これを乗り越えなければ、アメリカは世界の迷惑国家である。
アメリカでは10人に1人が警備や警官や、軍事についているという事を読んだことがある。普通の人が安心して暮らすためには、がちがちに防御を固めていなければならない国。しかし、どこまで防御を固めた所で漏れる。攻撃の方は必ず防御を上回る。北朝鮮が核弾頭をアメリカに打ち込む可能性をどう防御するのだろう。アメリカでも今回は今までとは異なるレベルで、銃規制への言及がされていると言う。しかし、オバマ大統領はあれほど悲しげに追悼の言葉を現地で述べながら、銃規制に言及しなかった。オバマ大統領は個人としては、人道的な人間に見える。しかし、銃規制に触れることをためらっている。アメリカの文化がそう言う文化なのだ。わが身を守るのはわが身である。銃で攻撃する者がいれば、銃を持って防御するのが、立派な人間の姿だと言う思想。いわば戦国時代の武士道が今だアメリカでは生きているのだ。近代国家に生まれ変わっていない。どれほど銃で身を固めていても、狂気にかられた人間の暴走を完全に防ぐことはできない。
これは、軍事力でも同じだ。飛んでくるミサイルを撃ち落とす、ミサイル防衛。ミサイルというのは、銃の弾と同じくらいの速度で飛んでいる。これがいつ飛んで来るかわからないのにどうやって防げるというのだろう。小学校に警備員を常駐させたとしても、あらゆる場面で狂気の行動はありうる。ショッピングセンターでも、劇場でも、地下鉄でも、実際にそうした事件は根絶できない。凶悪事件の発生数は、先進国中断トツである。日本の10倍、先進国中では極端に多い発生。こんな非人道的な国が、何故よその国に正義を振りかざすのかが理解しがたい。まず自分の国をしっかりさせるべきだろう。子供たちが大勢殺される事件が毎年起きているのに、銃規制が出来ない。銃規制をすべきでないという思想が、アメリカの正義の思想である。
競争を正義とする思想。勝つものが正義。アメリカンドリームは打算に満ちた即物的な世界なのだ。強いものが正義。経済的成功が夢。こんなアメリカの価値観に日本も随分影響された。影響はされたが、銃規制がまだある。平和憲法がある。秋葉原の暴走事件ではないが、もし銃が使われていたらと思うと深刻なことである。その不安の為に、銃を常に持ち歩くような社会になる。つまり、軍隊を持つ国になると言う事だ。今の中国を考えて見ると、どんどん軍備を増強している。当然近隣諸国も、対抗上軍備を強化したくなる。これでは、いつかは暴発するのを待っているという事になる。不安であっても、銃社会より、日本の方がましである。銃社会は必ず破たんする。それは国の軍備も同様である。無ければ不安であろうが、強化して行けば必ずどこかで大爆発が起こる。武力依存の文化からアメリカが抜け出ることが出来るかは、世界の未来の問題である。