田んぼ勉強会

   

神奈川県農業技術センターから、北川高弘主査に来ていただき、4箇所の田んぼで勉強会を行った。主催は、小田原有機の里協議会である。例年7月ごろにあしがら農の会で行ってきた勉強会を、今回は枠を広げてお願いした。各団体1ッ箇所と言う事で、農の会の分は月の田んぼだけとなった。今までは農の会の田んぼをできるだけすべてを見ると言う事で、10箇所以上を1日かけてみていた。と言っても個人的には、時間があれば人の田んぼでも良く見て歩いている。田んぼを見る事が好きだからである。見る事にかけては、ある意味誰にも負けないつもりである。何を見るかである。「田んぼの生命力」を見る。言い換えればその田んぼがどれくらいの美しさであるか。こういう風に言うと誤解されるそうだが。命が豊かで大きければ、美しい。その美しさは総合的なもので基準は、科学的に数値化できるものである。

例えば、根を見なければならない。根の長さ色太さ。根が植物を支える全てである。根の状態で大体の事が分かる。正直な所なかなか納得の行く根という物はないものだ。田んぼに入り、土に触り、土の臭いをかぐ。土の発酵状況の確認。臭いが一番の情報。腐敗的であれば、何か悪い兆候がある。特に後半の土に臭いがあるようではおいしいお米は採れない。と言っても人の田んぼに勝手に入れないので、こういう機会は絶好と思い、各田んぼの根を調べようと思ったが、時間がなく、月の田んぼ以外は出来なかった。水の中ではあるが、土壌の地温も案外に大事。土壌の冷える田んぼは良くない。水管理の問題も関係する。水の状態。入水口の水温。排水口の水温。出来れば田んぼの中の水温。こういうものは判断材料になる。地上部の姿の美しさという結果であれば、その原因は必ずどこかにある。

美しい田んぼとはどんな田んぼであろうか。これは人それぞれである。10枚の田は10通りの美しさがある。環境に調和していなければ美しくない。美しさはハーモニーであって、一人では作れない。畦の草も、せぎの姿も大切なことだ。隣の田も何もかもとなるが、大体は日本が捨ててきたものだ。当然の事で水という物はそういうものだ。せめてと言う事で一枚の田んぼを見る。月の田んぼはいわゆる手植え田んぼの限界の姿である。限界と言うのは、満杯の姿である。岩越さんが管理者であるが、徹底した管理をされている。稲と言う生き物としての満ちた美しさがあった。特に、稲の姿がいい。16本から18本程度の分けつ。太いしっかりした茎で、開帳型。稲穂の大きさは充分。22センチ。1本植えにもかかわらず、分けつした穂も変わらない大きさ。しかし、何かがかけていないと、ここが難しいが、なにかもうひとつあればは簡単だが。

次に行ったのが、食とみどりの田んぼ。沢山案山子があるので、案山子の田んぼ。大勢が参加している田んぼ。賑やかな明るい田んぼ。とても華やいだ、おしゃべりの聞こえそうな、自由な空気の田んぼで魅力的。キヌヒカリで既に刈り頃になっている。土壌はとても綺麗な状態。追肥をするという指導があったが、どうだろうか。根が充分出ないのに、追肥をすると稲がお腹一杯になる。むしろ冬の間の土づくりに力を入れたい。緑肥、あるいは落ち葉堆肥。体調回復途上の田んぼと見た。折角美味しいお米がいかにも採れそうな田んぼだ。これから良くなってゆくに違いない。そして報徳の田んぼ、ここは倒れると思っていたら、倒れていない。どうして管理したのだろうと思ったら、有機栽培を止めていた。松下政経塾の田んぼの看板が立っているが、そういうものなのかと思った。最後に行ったのが、坊所の石綿さんの田んぼ。谷戸田でとても美しい田んぼ。ある意味完成した田んぼ。先祖伝来300年作ると出来る田んぼ。あれほど満杯の頑張っている岩越さんが、こういう田んぼを作りたいと後でポツリと言った。

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