家で勉強をしない中学生
9%の中学生が家で勉強をまったくしないそうだ。91%の中学生が家で勉強をするらしい。この多さに驚いた。家で勉強は丸でしなかった。学校でやれば沢山だと思っていた。今の勉強と言うのは学校でやるだけでは充分じゃないらしい。学校で日に6時間も勉強して、まだ足りないとは驚く。学校でちゃんとやってないのだろう。試験前に慌てて勉強するぐらいは必要だろうが。学校で充分足りるようにするのが、学校のやるべきことだ。学校の6時間で足りないぐらいなら、家で少々やっても無理なものは無理だ。子供が忙しい訳だ。義務教育の中学校の学習内容が、学校で勉強するだけで習得できないとすると。内容が多すぎるのか。教師の教え方が悪いのかしか考えられない。家でやるべきことは勉強どころでなく沢山ある。暇を持て余すぐらいで、本当の好きなことが出てくる。わたしの父が言ったのは「好きな事を見つけろ。それが子供の仕事だ」これだけである。
中学生の頃を思い出せば、学校から帰えればその日やるべき、好きなことを考えていた。どうせくだらないことで、ブルドックを見に行こうとか、どこの熱帯魚屋に何が入る。運送屋に虎がいるとか。どこに銅線が落ちているから掘り出しに行こうとか。ツリーハウスを作るか。穴を掘って地中の家を作るか。焚き火をやって、やきいもを作るか。パン工場に行って、パン作りを手伝わしてもらうか。毎日毎日、ぶらぶら次のおもしろそうなことを探していた。それが中学生の仕事だ、好きなことをやっていればいいと、思ったし言われていた。当時生地屋を父はやっていて、その手伝いも結構好きだった。生地の仕入れでどちらが売れるか、などという相談を本気で私にしてくれた。私の選んだ生地の方が売れるというのが、ジンクスとしてあった。私も問屋さんの持って来た生地を見る目が養われた。しかし、生地屋など絶対にさせないとも言っていた。
中学校は義務教育なのだから、日本で暮してゆくのに必要な知識を教えているはずだ。所が要らないことばかり教えている。だからくだらなくてやる気にならなかった。生きていくには何が必要かは、それぞれに違う。時代によっても違う。読み書きそろばんと言うのが、江戸時代に出来た教育の基本要素だ。鎖国しているのだから、英語は要らない。ゆとり教育というはずが、これで学力が低下したと言う事で、今度はゆとりはなくなるらしい。それでは、ゆとりで培われたものは、きちっと評価がされているのだろうか。すぐにはどうなる物ではないだろうが、何年もやったのだから、止める前に何だったのかは国民に示すべきだ。ゆとり教育の目的は何で、その結果どんなことが起きたか。いいことも、駄目なこともあったはずだ。
そうだ私が好きだったのは本を読むことだ。本ばかり読んでいて生活できる、いい職業は何かと言う事で、学者と言う事が目標に成った。たぶんこの辺に父の誘導があったのだろう。父は何かと言うと、柳田先生はこう言われたが、口癖のようだった。学者になりたかったが、戦争に8年行って、戦後は生活に追われ、断念した。私の本好きは乱読もいいところで、本より文章が好きだった。文章なら、機械の取り扱いの注意書きでも、毛沢東の話でも、つい読んでしまう様な状態だった。中学の図書館にある本を端から全部読もうとしていたぐらいだ。91%の中学生に言えることがあれば、どうせ勉強するなら、いい勉強をして欲しい。学校の勉強は勉強のほんの一部に過ぎないこと。農業など全くない教育内容で、これからの日本でやっていけるのだろうかと心配になる。