食糧危機2
日経新聞の6月4日の社説では、食糧危機の解決に、緊急援助の必要と、日本の農業の生産性の向上をあげていた。大新聞社の社説が、農業と成ると実態を少しも知らないで書いている。農業云々の前に、新聞社の生産性の向上が先だ。と、情けなくなった。どうも書いた人は、自由貿易をやれば、競争で生産性が上がる、日本の農業に国際競争力がないのは、農業保護政策がいけない。このように思い込んでいるようだ。もう25年ほど前で頭が固まっている。25年前米価のことで、こうした論理と田中角栄さんが既に戦っていた。米価算定法がおかしいと当時発言していた。そうこうして、国が決める米価というものが無くなった。自由競争原理が絶対の社会正義のように唱えられたからだ。これは医療でも教育でも、自由競争こそ改革を進める。こういうアメリカ型の強者の経済理論に基づいている。
そんな自由競争原理が、農業に通用しないくらいの事は、農業経済の研究者なら、常識だ。小泉元首相がそれを無理強情に持ち出して、受益者負担。競争原理。規制緩和。民間開放。ブームに乗って押し出した。生産向上すれば日本の農業生産品が、輸出できるようになる。まるで、農業分野が手を抜いて、生産性向上にサボっているかの論理が、展開された。大規模化すれば、生産性が上がる。こういう実態を踏まえない理屈がまかり通った。結果、集落営農や、認定農業者制度が出来た。そうした、大規模化したところで、生産性が上がったか。見通しが出てきただろうか。そうは行かない事が、見えてきたのが現状だろう。やれるものなら、政府がそういう模範農場でも作って、誰でもまねが出来るようにして欲しい。理屈だけでも不可能な事は、農業関係の公務員なら、みんな知っている。それをまたぞろ、思い出したように、使い古された論理を平気で口にしている。これでは何時までたっても、農業は勉強しません。こう宣言しているようなものだ。
どんなに努力をしても、農業は自然の限界は超えられない。砂漠や、南極で農業は出来ない。生産性の向上と言っても、今の倍採れる様な技術は存在しない。10%生産量が向上すれば、大変なものだ。そこまで農業の技術革新は来ている。品質といえば、日本の農産品が優秀であるのは、果物だけではない。米でも、野菜でも、大変なレベルだ。それは水が豊かで、気候が穏かで、自然力に恵まれているお陰が大きいだろうが、農業関係の技術研究努力も、工業分野に劣るものではない。しかし、農業は安全とか永続性とかが、最優先されなければならない。遺伝子組み換え技術が、食糧の主生産地アメリカでは広がっている。これが、永続性があるのかどうか。まだ、日本政府も決めかねている。農業技術は農薬や化学肥料多投入の、短期的な生産性向上技術の蔓延で、むしろ、土壌の力の低下が起きている。砂漠化は水不足だけでなく、死んだ土壌と言う事で、日本の農地も、年々弱ってきていると推測される。そうした畑や田んぼを、自然農法に転換して感じている所だ。
何にも増して、農業労働者の老齢化が問題だ。主労働者の年齢が、60歳を越えているような分野で、何が生産性向上だ。これでは芸術文化、伝統工芸の世界のようだ。何故、新規参入がないか。可能性がないからだ。未来がないから、普通の人はやらない。他に道がないから、しょうがなくてやるか、お金など関係がない人だからやる。日経の社説のように、「生産性向上の努力が足りない。」オウムのように返えし発言されているのだから、馬鹿馬鹿しくてやってられないので、やらないだけだ。日経の記者が発言がまともだと思うなら、土地は世話をするから、子供にやらせたらいい。このままでは、やる人が居なくなる。食糧の危機のことは何度も書いてきた。今慌てているのがおかしいことだ。食糧輸入ができなくなる事だ。足りない国に援助するより、先ず日本への輸入を止まる事だ。輸入が止まっても、食糧が確保できる道を提案するときだ。まず、農産物を作りたいと考えた人が、作れる仕組みを作ることだ。減反などとんでもない事だ。
昨日の自給作業:草刈3時間。 累計時間:3時間