ゴミ処理広域化の方向
環境省の方針に従い、全国的にゴミ処理の広域化が進められている。神奈川県でもブロックごとの広域案が策定された。小田原市でも、当初計画より縮小した形の、箱根町、真鶴町、湯河原町、をひとつとした広域処理実施計画が、今年度中の策定を目指し、現在検討されている。
私の住む久野地区は、小田原市の焼却場と最終処分場があり、長年に渡って、負担を強いられてきた。焼却炉が建替えられる、この機会に、久野が長年こうむった負担を解消したい。それが地域の人の願いだ。迷惑施設だけが、久野に集中し続けることは、市全体の配置から行っても、アンバランスな感じがする。「何処の家にも便所は必要だ。」ある市会議員の暴言は、今でも久野の住民は忘れていない。
今回の広域化案の基本は、小田原市の焼却炉が、H26年に炉の寿命を迎えることを機に、広域の焼却施設に変えようと言う考えのようだ。
環境省は箱根町、真鶴町、湯河原町のように5万人以下の行政では、焼却炉を単独で持つことはできないと言う考えだという。これは、溶融炉のような24時間高温での連続焼却を考えれば、そのようになるのだが、ゴミ処理は多様な方策が在り得るので、溶融焼却を前提に考えていること自体がおかしい。
ゴミはできる限り目に見える形で、場所で。小さく処理するのが、減量の基本である。広域にして、どこかでやってくれるとなれば、そこにお任せすることになり、面倒な分別などできるもので無い。しかし、捨てるところが無いとなれば、あらゆる方策を立てざる得ず、暮らしの中でゴミは減るのだと思う。
燃やさないでも処理できるものは、徹底して、燃やさない処理に向けるべきだ。生ゴミはどうだろう。こんなに重いものは、運ばない方が良い。各地に、小さな堆肥場を作るべきだろう。再処理できるものも運ぶ必要が無い。ペットやビニール系のゴミなどは、別系統で集める。紙も再処理に回せる。
それでも焼却炉が要らないわけではない。最小限の焼却炉を用意すべきだ。
溶融炉はどうだろうか。これは県に1つあれば充分だ。どうしても溶融処理が望ましいものは運ぶ。灰溶融も、そこに運び減量する。こうした管理の難しい、事故があれば危険度の高い溶融炉は、臨海部の工業地帯に置き、徹底管理してもらう。住民の生活圏に本来置くような炉ではない。
以上のような方策を充分検討した上で、実施計画だ。小田原市におかれている、広域処理班の努めである。ところが、焼却炉の設置場所の検討も白紙である。どんな炉にするかも白紙である。輸送法も当然白紙である。ここまで来ても、一切の情報が、白紙の一点張りで公表されない。もし、本当に白紙であるとすれば、今年度中に立てるという実施計画は、どうなるのだろう。
すると、広域処理班では、「ここでの実施計画というのは、普通に言うところの実施計画ではなく、大まかな方向を考えるだけで、一切具体性のあるようなものではないのです。」こう答える。それなら直のこと、大まかな方向こそ大事なのだから、市民から意見を聞くような、仕組みを作って欲しいと要求する。さらに、「学識経験者、市民代表、などを交えた検討委員会のようなものを、時期が来たら考えてみたいとは思うのですが。現状ではそうしたこともまだまだ、決める段階ではないのです。」全く、ヌエのような対応だ。
全てがこんな調子で、のらりくらりと先延ばしである。その一方で、小田原市に焼却炉を置く事が、市民アンケート結果では示しています。と新聞発表した。こうした古い手法で、市民が欺けると考えていたら、大間違えである事を、遠からず、思い知る事になる。