日本がコロナワクチンで遅れた理由

石垣島の平和記念館である。今年の石垣市花と緑の街角コンクールで大賞の場所である。たしか市民が投票をして決まるのだと思う。この時期の石垣島は花が咲みだれている。それを見て歩くだけでも、楽しい散歩になる。
日本がコロナワクチン開発競争では完全に世界に水をあけられた。一番でなければだめだどころか、10番にも入れないことになってしまった。さすがにがっかりである。こうして、日本の先進国からの脱落が見える形で表われている。すでに世界では10のワクチンが承認されている。
日本勢では、大阪大とアンジェスが共同開発するDNAワクチンが国内P2/3試験を実施中。塩野義製薬の組換えタンパクワクチンも昨年12月からP1/2試験を始めており、同社は今春P3試験を始める予定という。とこかくこれを頑張って貰うことが重要である。遅れるにしても、出来るか出来ないかは今後の感染症対策の試金石になる。
WHOの2月23日時点のまとめによると、現在、臨床試験に入っているCOVID-19ワクチン候補は73種類。このほかに182種類が前臨床の段階にある。世界中が必死にワクチンを開発している。そして残念ながら、日本はまだ出来ない。それには理由はある。
日本は国の安全保障に対する意識が極めて曖昧と言うことに行き着く。感染症を国の危機とは少しも考えていなかったのだ。今回はコロナ程度でまだ助かったとしなければならない。必ずもっと深刻なことが起こるはずだ。
日本は目先の利害に追われ続けている国に落ちぶれた。日本が日米安保条約に支配され、依存し、アメリカの属国としてやってきた結果だ。国の安全保障を外国に手渡して、依存している国。独立国としての根幹が欠けている。安全保障に真剣に向かい合うことなくやってきた結果である。
そもそも国の安全保障と言うときに、軍事的な観点だけになってしまうのは、本気で安全保障を考えない証拠である。安全保障の一番は食料の確保である。情報、エネルギー、医療なども国の安全保障として考えておくのは、独立国家として当然のことだ。
戦後の日本はアメリカに占領され統治されていた国である。アメリカ支配を国の尊厳まで捨てて受け入れざるえなかった。いつの間にかアメリカの都合の良い属国という立場を、当然の現実として受け入れてしまった。この気概のなさは寂しいことである。
しかし、この姿はある意味日本人の合理性のようなものでもある。つまり揺るがない国家意識、あるいは民族意識などそもそもない国なのだ。だからここまで立ち直れたわけでもある。一見天皇主義国家と見える明治時代もあるが、あくまで付け焼き刃の帝国主義にすぎない。
戦後の高度成長を支えたものは、国の尊厳よりもお金である。それを評価できないわけでは無い。ただアメリカ依存になれきってしまい、いつの間にか属国という立場すら忘れがちになってきていた。特にこのこと気付かずみすぼらしいのは、日本の保守主義者だ。アメリカ支配を望ましい物と考えるような堕落に陥っている。
旧ソビエトを悪とした時代。今は中国を悪としようとする時代。いずれもアメリカに同調するだけで、日本の自立は棚に上げ、考えようともしなかった。棚に上げて何をしてきたかと言えば、企業にお任せして世界との競争主義である。ある意味、国の安全保障をなおざりにしての経済競争なのだから、高度成長も実現できたと言う側面もある。
原発依存政策の中での、原発事故で大きな痛手を被った。しかし、そのままエネルギーでは次の道筋を見いだせない。再生可能エネルギーへの転換では世界の革新に追いつけない状況が生まれ始めている。新しいことへの挑戦の意欲が失われているのだろう。
食料の自給体制では、食糧輸入国の典型例に入ってしまった。実に危うい状況に立っていることは間違いがない。ところが、その危うさに対してすら相変わらずかけ声だけで、目標の自給率に達しないにもかかわらず、農水大臣が責任を取ることもない。食料という安全保障上最も重要な要件を支えることができない日本国である。
国際競争力のある農産物というのが国の方針であるが、これは間違った政策である。その前に、主食の安定生産の確立である。農業者人口が減少し、外国人労働者に依存しなければ、主食が生産できないようでは安全保障上の危機である。コロナでの死者数以上に、これから食糧不足での死者が多いと予測されている。
情報分野の立ち後れも見ていられないほどである。政府はコロナの接触アプリを機能させられなかった。しかも、機能していないことにすら気付かずに来た。どれほどIT分野の立ち後れがひどい物かが分かる。このことでも責任を誰かが取ったと言うことも聞かない。謝罪すれば終わりというほど軽い問題ではない。
マイナンバーカードの普及率は20%以下である。しかもそのデーター情報が中国に漏れている可能性があるという。政府を信頼できないから、加入を言われても、入る気には私にはなれない。普及するなら、絶対に外に漏れない仕組みを作ることだ。又漏れたときには総理大臣が辞職すると約束すべきだ。
そして医療である。完全に感染症対策を怠ってきた。私ですら、感染症パンディミックが必ず来ることを10年前に確信した。その準備を政府は全く行わなかった。津波が来ることなど想定外であった原発と同じことである。
ワクチンを開発する仕組みと生産のためのシステムの準備がなかった。アメリカ、中国、ロシア、が早く開発できたのは国の安全保障として、感染症に意識が強いからである。開発スタッフと製造システムは常に稼働させておく必要がある。
十分な準備態勢がないまま、うろたえて行われたことが、10万円給付とマスクが出回ってからのアベノマスク配布である。経済が重要と言って、ゴーツーイートをやらかした。やらかしておいて、一転、飲食店への時短要請である。
こんな状況であるから、医療体制もまるで感染症対応が遅れていた。ベット数では世界一でありながら、感染症のことが抜け落ちていたわけだ。それが、当然のことながら、ワクチン開発にも表われていた。いざというときにワクチン開発をするスタッフも不足だし、施設も不足したのだ。
すぐにお金になる研究以外は準備をしないというのが、政府の学問研究に対する態度である。この恥ずかしい実態が露呈したのがコロナワクチンの開発競争の脱落である。ワクチン開発には日ごろからのワクチンの製造過程の準備とそのための国の支援が不可欠な物なのだ。
国立感染症研究所所長の脇田隆字氏はこう答えたという。「この20年間を振り返れば、新型コロナを含め繰り返し新興・再興感染症が起きているのに警戒感は維持されなかった。『日本はなんとかなるだろう』と。でも今回の反省があって変わらなかったら、よほど鈍感ということになる」
この国立感染症研究所という存在自体が、本当には機能していなかったのだ。この組織を実力本位にして、実質化するところからだろう。総点検して、必ず来るであろう次の感染症に備える必要がある。そして、コロナワクチンを作るアンジェスのような企業に対して、政府はどういう補助が出来るのかを検討する必要がある。