腰痛・首痛・肩痛の改善

   



 牧草地にひとり置かれている。なんとも言えない雰囲気がある。機械の孤独と言いたくなるようだ。このボックスの中は冷房付きなのだろうか。これはロールされた牧草を運ぶ機械である。牧草をロールにするために大きな外国の機械が使われている。

 牧草は穂を出すと白く輝き出す。これが又光を反射して美しいものになる。緑と反射する光の草の海である。反射をしていると本当の海と変わりが無くなる。絵は物の説明と言うより、そうした光の実際を描く物だと思う。草の海にトラックターがまるで船のように見える。

 一日車の中に座って絵を描いているような生活をしていれば、だんだん身体のあちこちが痛んでくる。身体のどこかが変調を来すと言うのはとうぜんである。以前はいつも首が痛く、肩こりもひどかった。気持ちが悪く成ること窯であった。このままではいつか病気になるのは確実と思われた。

 首が痛いというだけ終わらないと思っていた。背景をよく考えて置く必要がある。どこかが痛いと言うときに手当てをしておけば、大病には至らないと思いサウナに行くようになった。小田原に移った頃だから、15年くらい前の55歳くらいのことに成る。
  サウナに行くようになり、身体の凝りは無くなった。しかし、コロナの自粛でサウナに行きにくくなった。そこでサウナに変わるような身体の巡りをよくする方法を考えた。その一番がスワイショウと八段錦である。

 時々あるのが首を寝違えるという状態である。変な格好で寝ていて首が痛くなるのが直接原因だとは思うが。それだけでは無いと考えることにしている。何故そんな寝違えるような形で寝ていたかである。先日腰痛になった。そうしたら連続して首を寝違えた。やはり両者は関連していると考えた方が良いのだろう。

 座り方が悪いという自覚がある。椅子に寄りかかって猫背で座っている。拝筋が弱いからこう言う座り方になるのだと思う。姿勢が悪くて何が悪いと、中学生の頃からだらしない座り方で生きてきた。情けないことだったが、楽なことしか出来なかったのだ。

 しかし、いよいよ歳をとりこのままでは猫背の老人になりそうである。急に、今更ながら改心をした。寄りかからず正しい姿勢で暮らそうと言うことにした。なんとも腰が疲れる。背筋のつけ根当が痛い。しかし、これをのりきればと言う思いながら、2週間が経過した。

 まだ楽に座ると言うことが出来ない。それでも寄りかからないと言うことだけは続けている。誠に疲れる。そのうち乗り切れるだろうと考えている。さすがに1週間目よりは2週間目の方が楽だ。あと2週間我慢すればなんとかなるだろう。今や座るのがまるで体操である。
 
 背骨とその周囲の筋肉はとても重要である。神経や大きな血管も周辺にあり、背骨周辺は頭から、腰までとても重要になる。ここが固まったり、変形することは体長の変異の原因となる。しかも私のように車の中で変な姿勢で一日中座り込んでいれば、必ずおかしくなって来る。背筋が弱くなり、姿勢が悪くなり猫背になる。

 絵を描く人には猫背が多いのではないかと思う。元気で九〇歳を越えても絵を描いた人は猫背にはならない。元気のない絵は猫背から始まると考えてもいいのではないか。姿勢が悪いので背筋が弱まり、首も寝違えると思われる。

 立って絵は描いた方が良いと言う人も居るが、座って描くのが基本だと思っている。座らなければ落ち着いて絵が描けない。絵を見るのも私は座ってみる。美術館でも椅子があれば、必ず座って絵は見る。立って絵を見るというのは本を立ち読みしているのと変わらない。絵と向かい合ってゆっくり語り合わなければ奥の方にあるものは見えない。

 そこで一日中座った生活である。腰に良くない生活である。座っていて姿勢が悪くなり、猫背になる。こ野間までは絵も猫背になる。身体は不思議な物で、心と繋がっている。猫背老人になりたくないので、正しい姿勢を取るようになった。

 年寄は猫背から始まる。長年良くない姿勢で座っていたので、正しい姿勢を取ると辛い。しかし、このつらさは正しい姿勢を取るための筋力を鍛えていると思って良い。一番辛いのは最初である。そこを乗り切れば、つらさは軽減される。

 腰痛を経験して、姿勢を正す決意をしたのだ。なんとかなるかもしれないと言う危ういところであった。猫背の年寄になりたくないというあがきが、我慢させた。何しろ姿勢の悪いのは中学生以来である。猫背を注意され続けたが、そのくらい勝手にさせてくれとうそぶいていた。あれが今思えば良くなかった。

 一日に三回スワイショウをしている。これを正しく行えば、肩こり腰痛は無くなる。今これを書いていて急にやりたくなってスワイショウを一〇〇回やった。スワイショウをやると、急に元気が出てきて、ついでにV字バランス80秒、膝蹴り体操も90回行った。

 スワイショウは動禅の一つである。達磨大師が中国にもたらしたと言うことになっているから、つまりインド発祥のヨガのような物と考えた方が良い。菩提達磨はインドから来た仏教僧である。達磨大師が架空の存在であるとしても、インドから伝わった物という考えは間違っていない。

 座禅はとても難しい物だ。只管打坐。無念無想。と言っても形のないものは達人以外に出来る物ではない。俗人は動禅の方が向いている。座禅の境地まで至らないだろうが、十分の内観法である。呼吸と動きに集中することができる。

 動きとは背骨の周りをほぐして行く意識である。首から腰骨まで、それを取り巻く筋肉が振られて、揺すぶられてほぐされて行くことに集中する。呼吸は往復で一呼吸。何もないよりは、こうした形があれば、正しい形に集中して行くことで、意識の統一が出来る。

 これを静観とも内観とも言う。身体の中に意識を沈潜させて行く。身体の動きは、投網を打つように腕を身体の周りに振る。腕は水平ぐらいに伸ばし、手のひらは下を向ける。手が身体に巻き付くように、一回と回す。今度は反対側に、又と網を打つように、一回と回す。

 この動きを繰り返すだけなのだが。大切なことは背骨の周りをどうすればほぐせるかである。当然首回りもほぐしたいとすれば、首緩めるように回さなければならない。手を追いかけるように顔を反対側を見るように回す。

 このとき腰骨の上に背骨がのっていると言うことが重要で背骨をひねるのではなく、大腿骨と腰骨がずれるという形で、上半身全体が動くことが大事である。背骨だけで身体を回すと、背骨をひねることになり、無理が生じる可能性が高い。あくまで、股関節をずらすという感覚である。

 また、腰の悪い人はやらない方が良いということを言われることもあるが、これは教えた人が文句を言われないための安全策である。腰の悪い人こそやるべきだ。私は腰が痛くなればより熱心に行い、回復させている。一般論として通用するかは知らない。

 背骨周辺が緩められると言うことが何より身体を回復させる。これは体験としては間違いが無い。頭が活性化する。絵を描いていて、行き詰まると、スワイショウをする。もう一度改めて絵を見ると始めて見る絵のような気がしてくるものだ。

コロナの流行である。不思議な巡り合わせである。石垣島で動禅を達成しろと運命が示しているような、気さえしている。

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