石垣島暮らしが始まった。
小田原に戻った。すでに石垣に住んでいて、小田原に行く。小田原に来たという感じがする。3番アコウと呼ばれる「オオバアコウの木」がある。ナカドウ道という石垣市内に北から来る分かれ道に生えている。とても大きな木だ。歩いてて暮らしていた時代はこの木陰で一休みしただろう。昔の町への用の行き帰りが想像できる。水牛車も通ったかもしれない。一番アコウ、2番アコウはもう少し市内に入ったところにあったそうだ。石垣にはこうした大木が残っている。大木が残っているということは、島の暮らしが八重山の島々の中では良かったことが想像される。宮古島では大きな木はない。いくらか御嶽に木があるが、大木というほどのものでもない。石垣の於元岳には炭焼きの跡があった。直径7メートルくらいの大きな炭焼き窯である。あれだけの炭焼き窯があったということは、それだけ自然が豊かということだろう。生活のためのエネルギーを考えると。島内での収支もあるし、西表のように燃料輸出の島もある。八重山の暮らしと大木との関係。
このナカドウ道入り口にはトゥバラーマの碑がある。八重山民謡の聖地のような場所だ。「ナカドウ道から、ななけーら、かよん」とうたわれる八重山を象徴する抒情の唄の歌碑がある。石垣では月一回トゥバラーマの指導会がある。確か第3水曜日の夜だ。私の知る3大八重山民謡曲は、西表の仲良田節。そして、白保の弥勒節(みるくぶし)」ではないかと勝手に決めている。それこそ死んでゆくときはこの3曲を流してもらいたい。八重山民謡の抒情、豊年感謝、ハレの解放感。歌にある世界観のこころの広がりが深い。どの歌も難曲で私のようなものには歌えないのだが、いつか真似事でもいいから、唄ってみたいものだと思っている。頑張らねば。
崎枝の牧場の入り口。下の方に広がる田んぼとサトウキビ。崎枝と呼ばれる美しい集落がある。石垣で一番美しい地域だ。農村風景と自然景観が織りなす世界観が現れている。農村はずいぶん絵を描いてきたわけだが、美しい農村風景日本一ではなかろうか。名蔵湾と崎枝湾とに挟まれた半島の付け根の集落。集落から一段下ったところに田んぼがある。昔はそのあたりはマングローブの林ではなかったか。この田んぼの形状がいい。自然地形から生まれたままの形を残している。自然の水の状況に従ったのであろう。今はサトウキビになっているところもあるが、そのあたりも田んぼだった時代があるはずだ。描いて居たら、牧場の方が見えた。黙って入ったことを謝罪した。絵を描いて居るということがわかったら、どうぞ自由に描いてください。と言ってくれた。石垣の人は本当にやさしい。今度行くときは小田原のお菓子を持って行く。山梨で生まれたのだが、山梨では邪魔にならない道路で描いて居ても、そばに来て消毒を始められたという経験が何度もある。
屋良部岳方向。この山は頂上まで道がある。しかし眺望はほぼない。頂上には大きな石があり、信仰の対象ではなかろうか。この斜面に広がる牧場の重なりがいい。遠くのみどりと近くの緑は重なり、うねりながら空間が広がる。どうもこういう広い空間に惹かれるようだ。これは子供のころに目に焼き付いた風景の影響だと思う。この集落には良いレストランが3つもある。入りやすい普通のレストランだ。昼食時はいつも観光客でにぎわっている。家から車で20分かかる。レストランで昼食を食べさせてもらい、描き続ける。起きれば小田原にいる。不思議な感触だ。石垣のライブカメラで我慢しよう。一人暮らしがしばらく続く。