アジア大会買春行為の衝撃

   

アジア大会選手の買春行為。これはさすがにひどい。健全なる肉体に健全なる魂が宿るはずではなかったのか。日本代表4選手の頭が空っぽとしか思えない。状況が全く見えていない。善悪の判断が出来ない。何故こういう頭の空白な人間が日本代表になれたのだろうか。プロバスケットの世界の実態が反映しているのではないか。日本国内の試合の後も似たようなことはないのだろうか。それを許すような社会環境が生まれていないのか。これほどの事件は過去記憶にない。まじめな大多数の日本代表選手にどう言い訳が出来るのか。もうこういうことが起こるようなら、スポーツに国がかかわる必要もない。何のためのスポーツなのか。ボクシングでは会長が暴力団ほぼ関係者という事で、大問題になったばかりだ。あの時もどこの団体だって同じだとホザイテいたが、こういう実態なのか。強いという事が、すべてに優先する世界では、こんな人間達が出来るという証という気がしてならない。4人とも日本代表ユニホームを着て出かけた。その上での買春行為である。4人の中に一人でもまともな判断力の人間がいたら、止めたはずだ。こんな馬鹿なことが起こる訳がない。

日本人総点検。何故こんなあきれた国になってしまったかである。競争主義に第一原因がある。バトミントンの賭博事件の選手が、勝ち負けにこだわる生き方だから、賭博への道は近かったと話していた。人間は勝負だけでは劣化する。勝負を超えた世界があることを武道では言うではないか。この4人はバスケットリーグのプロ選手である。プロ選手のなかでも能力が高いので日本代表に選ばれた選手であろう。そういう立場まで勝ち抜く過程で、どんな環境で、どんな人間に育ったかである。強ければ社会性などいらない。大きい人たちである。目立つであろう。日本のユニホームを着ている。どのように浮かれていたとしても、旅の恥は掻き捨てと考えたとしても、まともな判断力が欠落している。判断力を捨てたロボット選手が良いのか。この4選手だけとは到底思えない。スポーツの選手として、勝ち抜く過程で、何かを失うと考えなければならない。強ければ後のことはすべてよしという考え方に問題があるのだろう。強くなれば、大金を得られる。この構造の中で育つ人間というものの在り方に、問題がある。過去のスポーツ選手の育成とは違う次元で考えなければならないとこまで来ている。

日本の代表選手になるという誇り。一銭にもならなくとも、この誇りの為に努力をする。前の東京オリンピックの時の選手の方々はみんなこういう思いだった。こうした姿が古臭い考えであり、それでは強くなれないよという事になったのだろう。金足農業が負けて、大阪桐蔭が勝てば、一番以外は意味がないという事になるのか。前回のオリンピックでは、プロ選手というものはオリンピックに出られなかったのだ。お金の為にスポーツをやる選手はオリンピックの対象外だったのだ。50年前までは、そういう世界があったという事自体が信じられないだろう。いつの間にかオリンピック自体がお金が主目的になっている。選手もお金のために頑張るし、オリンピック委員会自体が賄賂や収賄行為が話題になる。この50年で世界が拝金主義に変わった。この変わったがために、起きてきていることに向かい合わなければ、さらにくだらないことが起こる。金儲けの為に、カジノ法案を作るような国なのだから、もうどうにもならないのかもしれない。今回の事件は日本がこんな社会になっては仕舞ったことを示しているのだろう。

こんな社会の中で、まともな人間もたくさんいることも知っている。若い人たちは競争の中でつらい状況の中に生きているのだろう。敗北主義と言われようとも、自らの真実に向かうべきだ。好きなことを見つける。好きなことをやり抜く。好きなことがあれば何とかなるものだ。好きなことをお金で判断しないことだ。お金になるから好きになるという選択をしないことだ。農業分野だって、金の亡者が徘徊している。そして金にもならない自給農業をしている人間を、蔑んでみている。こうした視線は政府の公認になっている。お金になる農業だけを価値あるものと思い込んでいるのはつまらないことだ。有機農産物は高く販売できるという事で、販売品は有機認証を受ける。しかし自家用には平気で農薬をかけ、化学肥料を使う人が多いのだ。自給農業はそんな馬鹿げたことをしなくとも、生き方として有機農業で生きて行ける。1日1時間、100坪の土地で一人の人間の食べるものは生産できる。食べるものさえあれば、後は好きなことで自由に生きる方がよほどましだ。

 

 

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