アベ政権と若者たち
森友学園事件もそうだった。加計学園事件もそうである。国民は安倍氏の嘘は一応分かっている。その嘘はお仲間に対する優遇気分の事である。それは忖度という婉曲な形を悪用して、お友達を大切にした。さすがにそんなことはないと考えている人は少ないだろう。問題はそんな些細なことをとやかく言う方がおかしいという感覚の人が多数派である点だ。ここに悲しい日本の現実がある。安倍政権支持の構図がなぜ起きているのかとても不安になる。特に若い人たちにこの傾向が強いようだ。今になって18歳選挙権の意味が理解できた。この構図はまさにソフト独裁の結果である。アベ政権は何でもできる状態に現在ある。共謀罪を成立させて、反安倍勢力の活力をさらに奪うだろう。どんな強行採決をしようと、国民はアベ政権を支持する心理状況なのだ。独裁というものは国民が作り出す政治体制だという事が現実化した。国民が独裁者になってほしいと押し上げてしまう。もちろん安倍政権を独裁だと考えている人の方が少数派であろう。これがソフト独裁の怖いところである。
独裁政権でなければ、文部省に存在し、前事務次官が確かに確認したという文章を無かったという事で押し切れない。職員から匿名でのインタビューでは確かにあった書類だという意見が出た。今度は実名で名乗り出れば、調査すると脅している。やっと調査するという事にはなったが、どのように終わらせるものか興味深い。こうした手法こそ、アベ政治の本質である。忖度にしろ、脅しにしろ、人間の弱いところをじわっと締め付け、動かしてしまうのだ。この独裁政権の成り立ちは、野党に支えられている。弱い野党も国民が望み作り上げたものなのだろう。私が作った野党と言われても仕方がない。アベ政権を嫌悪する私でも、さすがに民進党の古い看板の野田幹事長ではどうにもならない。あれよりは安倍独裁の方がましだとすらつい思ってしまう。独裁というのは、反権力の勢力が衰退して出来るようだ。独裁が素晴らしいのではなく、それ以外に選択肢がないという状況を上手く作り出している。
野党が無能に見える手法の演出家がいる。若者は現実経験が浅いから、演出表現に迷わされがちなのではなかろうか。これほど見事な演出ができるにもかかわらず黒子でいるのだから、なかなかのつわものだ。選択肢がないという気分が蔓延している。未来社会への希望が萎えている。この演出はアベ政権を支えるために、危機的世界情勢の中で日本を危うい瀬戸際に進めている。テレビでは日本礼賛番組が盛んである。不安を癒すという事なのだろう。若者の安倍支持と同じ構図である。不安を生んでいるのは世界の情勢ではあるが、不安の中希望の方向を打ち出せないのは政治の責任である。アベ政権がただアメリカ追随であるとしても、野党はどこを目指すのかが示せない。多分打ち出しているつもりなのだろう。野党の示す農業政策ではどうにもならないだろうと考えている。アベ政権と大差のない、実行力のない政府のイメージしか感じさせない。
若者のアベ政権支持の分析は様々あるが、世界が不安定で少しでも安定した政府を望んでいるというのが一番それらしい。この判断が正解だとすると日本の未来はあまり期待できないという事になる。ダメなアベ政権よりも自分がやってやるという人が現れないという事になる。ダメでもまだましなアベ政権にしがみ付こうという消極的選択。安倍氏は答弁でイメージ操作だとヒステリックに叫ぶ。つまりイメージこそ重要と考えている表明なのだ。アベ政権に良いイメージを作るという事が、演出家への要望なのだ。しかし、アベ政権が私の知る限り、もっとも日本を悪い方角に進めている政権である。これはイメージではない。それは具体的に憲法9条の改定を主張するところにある。野党は憲法9条を守る平和外交の方法論を示さなければならない。アメリカファーストからどのように離れ、アジアの一員としての普通の国に成れるかである。平和外交の具体策を国民が納得行くように示せないのであれば、9条を守れとは言えないだろう。