コーヒーは健康に良いのか。悪いのか。

   

毎日、必ず4~5杯のコーヒーを飲む。習慣化している。もう40年はそうしている。身体によいと思って飲んでいる訳ではないが、コーヒーを飲まないとすっきりしないのも確かだ。身体に悪いとは全く考えていない。コーヒーに関しては、両極の意見が飛び交う。

「日あたり1〜5杯のコーヒーを飲んでいた人は、高血圧などの健康障害を考慮しても、調査期間中に死亡する危険性が低かった。特に、心疾患、脳卒中、神経疾患、自殺による死亡率が低かった。」アメリカ・ハーバード公衆衛生大学院 調査

「毎日4杯以上のコーヒーを飲む55歳未満の人は、飲まない人に比べ、死亡率が高い」とする疫学調査結果を、米サウスカロライナ大などが米医学誌に発表した。

まったく逆の結果が出ている。私は両方とも真実だと思っている。事実いうものは常に多様で裏表である。つまり事実などあてにしても仕方がないという話を書いてみたい。養鶏でも二つの逆のことが同時に正しいという事が良くある。以前、自然卵ネットワークのアンケートで、同じ鶏種で飼いやすいと、飼いにくいが経験として出ていた。稲作では、田んぼを深く何度も耕せば収量が上がる。という実証実験がある。同時に、田んぼを浅く、さらっと代かきをしたら収量が上がる。という実証実験がある。どちらも正しい結果である。そして、私の健康には、コーヒーを何倍飲むのが一番良いのかという、全く個人的な結果があるはずだ。私の命という特殊な事例に関して、他人の調査結果など全く参考にならない。99%の人にとって正しい結果がそうであるとしても、私が特殊な体質の1%なのかもわからない。それは、寿命という深刻なことにまで及ぶ、ものの考え方である。

コーヒーを飲んでいて、自分の身体にとって、どんな結果を生んでいるかの判断を個人的にしなくてはならない。その結果は常に自分にとって、決定的であるとともに、実に特殊な結果なのだ。一般論など参考意見に過ぎないと考えた方が良い。自分の身体は自分で感じなければだめだ。内観法である。コーヒーは健康に良いという意見と、悪いという意見が並列にあるという事が素晴らしい。それは芸術というものを考えればよく分かる。どれほど特殊な作品であっても、その作品で人生を変えてしまうような人も居る。良い絵というものに一般論はない。良い絵は常に特殊なものだと考えた方が良いかもしれない。ところが良い絵が、絶対的なものでないかと言えば、実に動かしがたく良い絵なのだ。この矛盾こそ、芸術というものの特徴ではないかとおもう。

4杯前後のコーヒーを飲んでいる。コーヒー好きなのだろう。自給論者であるにもかかわらず、輸入コーヒーを飲んでいる。このくらいいい加減が良いと思っている。全く、様々な国からの輸入コーヒーを飲んでいる。コロンビア、ガテマラは今朝飲んだ。インドネシアマンダリン、ハワイコナ、ケニヤ、エチオピアモカ、ドミニカ、エルサルバトル、コスタリカ、メキシコ、ブラジル、まだまだいろいろ飲む。そして飲むときにはせめてその国に思いをはせる。ああ日本人移民の人が苦労している土地だな。平和憲法の国だ。塀を作れと言われているメキシコか。その程度の感想なのだが、飲むときはその国を少し思う。標高2500メートルのコーヒー農園の様子などを想像する。それが楽しい。空想に思いを膨らませるにはコーヒーはなかなか良いものだ。午後2時以降は飲まない。カフェインの入ったものは、午後2時以降に飲むと夜眠ることが出来なくなる。これは60歳くらいから起きた現象である。コーヒーは私には良いものだ。

 

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