桜の馬場で描いている絵

   

雨の谷間

小田原の沼代という集落の外れに、桜の馬場というところがある。桜が咲いていればなかなかの賑わいと思うが、普段はめったに人の来ない場所である。沼代の王子神社はその昔、お祭りの時に競馬が行われていて、馬が走り抜けた尾根道が桜の馬場という事だ。その中間地点当たりから谷を見下ろすと、谷底に田んぼが見える。この田んぼを上の道路から描いて居る。桜の馬場に車を止めて、谷を眺めている。沼代は曽我丘陵の中にある集落である。多分50軒もあるかないかの部落だ。周辺の丘陵地帯には、畑が広がり、みかんや玉ねぎが植えられている。たぶん谷の下の田んぼも沼代の生活域だったのだろう。集落の中にため池がありこの水が使われていたようだ。歴史ある落ち着いた、小田原一の美しい部落と言える。田んぼのあるあたりまで降りると、その先は新幹線の通る広々とした地域につながっていることがわかる。

田んぼの土の感触のようなものを描きたいと思っている。田植えが終わった時なので、身体の中に田んぼの土や水の感触が残っている。残っている間に田んぼを描いて見たくなった。一日1枚4日間描いた。ただ描きたいと思った気持ちに従っているだけである。何かになる訳ではない。これが私の生きている感触だと思うので、そのまま描いて居る。田んぼというものには恐怖がある。泥は得体が知れないから怖い。そして、美しい。水を張った田んぼというものは、充実がすごい。力がみなぎっている。光り輝いている。水というもののは本当にすごいものだ。畑にはない空間を生み出してくれる。水田を信仰した気持ちの原点がここにある。今も実は、田んぼによばれて、途中で書くのを止めて田んぼに行ってきた。コロガシが始まっている。朝の静寂な田んぼの中で、汗を流して田車を押していた。余った苗を片付けをした。

そのまま、絵に繋がる。そいう風に絵を描いて居る。絵を描くことを勤勉という言葉で言われた人がいた。私は絵を描くという時間は勤勉とは違う時間だと思っている。その時間草を刈ったり、種を蒔く方が勤勉に相応しい。絵描きは絵を毎日描いて居れば勤勉なのかもしれない。しかし、私絵画にしてみると、勤勉でない方の時間である。勤勉に値する仕事は別にある。それをやらないで絵を描きにゆくのだから、どうにもならない気持ちがある。昔の子供が畑の手伝いが嫌だから勉強をしたというのに近い。絵を描いたところで全く何も生み出さない。徒労である。勤勉というより、絵なぞ描いて居るぐうたらである。困ることに、その絵を描いて居る時間こそ、私が生きている時間という気になる。この時間を持つために生きてきたというような気すらする。

人間、何のために生まれてきて、死んでゆくのかである。絵を描いた、そして死んだ。それだけの充実を目指している。でもこれは勤勉とは違う。別段パチンコをするのでも、ゲームをしたでも同じことである。ただ自分の生命が、今最も望んでいるものだ。自分に見えているものを描いてみたい。という事なのだ。沼代で描いた8枚の絵を並べてみるとそれぞれである。絵が進んでいるという事はどこにもない。だんだん見えているものに近づいているような気は少しする。不思議なことだ。前の絵を見て反省するようなことはない。参考にすることもない。また、新たなその日の目で見たように描こうとするだけである。しかし、当然だが、前に描いている絵が何らかの作用をするのだろう。自分は何処から来て何処に行くのか。そいう日々の移り変わりと同じだ。何も考えないのだが、自分というものの痕跡のようなものはその画面にある。

 

 - 水彩画