日本農業の文明論
東洋4000年の循環農業は人類の生き残る可能性のある、希望に満ちた文明だと思う。古代文明がそれぞれにほろんだにもかかわらず、東アジアでは循環農業を作り出すことで、現代社会にまで継続した唯一の文明となった。それは土を育てるという思想に根差している。大地というものを最も大切なものとして、豊かな土を子孫に伝えてゆくということを暮らしの指針にした。自分一代が良ければいいというのではなく、ご先祖様から伝えられた土地を、汚すことなく、少しでも豊かなものに育むことを、自分の生き方とした。自分一代ではなく子孫につないでゆくことに価値を置いた。その農業は一見効率が悪く、近代の産業革命に伴う、機械農業に駆逐されることになった。機械農業は化学肥料を用い、土壌から収奪的に、効率よく作物の収穫を目指すものであった。土壌はその場限りのもので、使い切れば場所を変えるというような、当面の利益を優先する、プランテーション農業が生まれた。
そのことで、世界の急増する人口を支える食糧生産が達成された。そして、プランテーション農業と、東洋の循環農業が価格競争を強いられることになった。当面の利益を優先する農業であれば、プランテーション農業である。徐々に東アジアの伝統農業は消えてゆくことにならざるえなかった。日本では小さな農家が消えてゆく中、昔ながらの伝統農業は、まさに今消えようとしている。国際競争力のないものとして、疎んじられる存在になっている。当然後継者の期待もしないし、自分一代で終わりにすると考える70歳を超えたお年寄りの農業者が多いいことだろう。生活のできない暮らしを子孫に押し付ける親はいないのは当然のことである。また同時に、伝統農業の肉体労働に耐えたがたいという、農家育ちの人は多いいことだろう。しかしこれは間違いである。伝統農業はそれほどの肉体労働ではなかった。もっと余裕のある文化とも呼べるものだった。
日本農業が過酷な農業になってしまったのは、富国強兵という国策で、プランテーション農業に匹敵する生産を、循環農業の中で上げることを目標にした為である。それは2つの体験から想像している。一つは、昔の農家の人の働き方は、実にゆったりとしていたらしいということ。子供のころ、かろうじて記憶している人の働き方を見たことがある。のんびりと畑でたたずんでいた。ゆっくりと休み休み働いている人がいた。江戸時代を感じさせる働き方をしている人を、見たことがある。たぶん昔はああだったのではないか、と子供心に思った。もう一つは自分で自給農業をしてみた分かったことだ。伝統的農業では人間一人の食べるものは一日1時間の農作業で確保できるということである。残りの時間を、ゆったりと働いたとしても、人のための食糧生産に充てれば、一人は5,6人の食糧を確保できるということになる。ということは、日本人の20%が農業者であれば、伝統的農業で食料は確保できるということになる。
永続性のある、豊かな暮らしとは、世界と競争して勝ち抜くような暮らしではない。競争を続ければどこかで躓く。高い文化を味わい。一人の人生をどこまで深く探求することができるかが生きるということであろう。アメリカンドリームが、金銭的成功であるのは、伝統的な高い文化を持った経験がない国家だからだ。自分のやりたいことを見つけ、それを生涯探求できる環境を確保する。人と比べて自分をはかるのではなく、自分をやりつくすということ。そのためには、東洋4000年の循環農業の国に戻ることだ。それは何も江戸時代に戻れというのではなく、現代の科学文明を江戸時代の価値観からはかりなおすことだ。果たして、原子力は自分の幸せを作るか。科学が生み出した物を十分に活用しながら、間違った方向の科学は捨て去り、永続性のある農業文明に希望を見るべきではないか。大げさな言いぶりだが、自給農業をしてきてそういう考えを持った。