年金受給者名簿の流出
日本年金機構のまたかという大失態である。過去には、紙記録からデジタル化する過程で、多くの記録を失ってしてしまい、最後の一人まで調べると言う話の割には、結局のところ曖昧に調査も終わろうとしている所であった。あの大反省発言は何処へ行ったやら。今情報の基本となる、「マイナンバー制度」が行われようとしている矢先である。年金や税金の事を考えれば、必要悪の様なものだと考えていた。益々、マイナンバー制度に不安が増す。今回の年金番号の流出は、どうも偽装メールによる、サイバー攻撃が原因のようだ。関係省庁からの連絡に装い、添付書類を開くとウイルス汚染させられるようだ。職員個人が、自分のパソコンに、個人情報をいれておくという、信じられないようなずさんが流出の原因である。相変わらず年金機構の職員の意識の低さに驚く。このやり方が便利なので、機構としても認めていたというのだから、全く情報管理等できない組織である。
と言って別段驚かない。そのくらいのダメださ加減が、人間というものだ。私などもっともっとダメを繰り返している。だから職員の失敗を攻めると言う事より、問題はシステム構築をきちんとできないものが、国民の大切な情報を扱っている国家的なセキュリティーの問題である。情報というものは、流出するものだという大前提で考えておきたい。こうしてブログを書いている一つの要素は、むしろ防御するという意味がある。勿論私の様な者の情報など価値はないと思うが、それでも警察に監視、盗聴されていた経験がある。不審人物という事である。良く警官が家に来た。家の中を必死に覗き込む。そんなに中が見たいなら、どうぞ中を見て下さい。と言ったら、かけずり回るように中を見て歩いた。権力者は分からないという事が不安になるものなのだ。自給自足している人間など、理解しにくかったのだろう。自分と価値観の違う人間を理解することが出来ない。そういう事なら、すべてを公開することで、権力者に安心してもらった方がいいと考えている。
監視カメラ社会という事がある。あるいは様々なカード情報の筒抜けというものがある。携帯電話の位置情報がある。通話記録から、メール情報など、ありとあらゆる情報の中に生きている。普通に暮らしていれば、マイナンバー以前にすべての情報は流出していると考えた方がいい。マイナンバーはそれらを整理をするための様なものである。人間はすべからく弱点がある。情報としては探りだそうとすれば、このブログに書いていることなど、把握されているだろう。マイナンバー制度も、個人が少々失敗をしたとしても、流失不能なシステム構築が大前提である。しかし、必ず抜け穴がある。抜け穴のない仕組みなど考えられない。年金機構だって好き好んで、流出したかった訳ではない。しかし扱っているのが人間である以上、何処かに穴が出来るのだ。事故が起きてから想定外という事になる。日本の安全保障は、エネルギー、食料、情報はどうでもいいようだ。
結局の所、情報化社会に生きて行くと言う事は、さらされて生きて行くと言う事になる。透明の箱の中に生きている人間。それがそこに住む人間の、精神をむしばんでゆく事になるのだろう。人間には隠れて生きていたい部分があるとだと思う。完全に把握されてしまう、疎外。権力からは見えすぎていて、一人ひとりの生きている人間からは、マジックミラーの向こうの権力は見えない。問題はこの個人の把握のされ方にある。私が社会派の大者であるとすれば、権力に反発しようとするすべてが、事前に察知されて、弱点を攻められる事になる。弱みの無い人間など無いから、簡単に社会改革に取りかかれなくなる。情報を把握されると言う事は、牙を抜かれると言う事に繋がりかねない。権力者にとっての安全、安心社会。しかし、そう思いながらも後戻りできない。情報という物の独り歩きは、既に止める事は出来なくなっている。