机を作る

   

机を良く作る。別段机が好きという訳でなく。木が好きなのだ。木を耕作していればうれしくなる。絵を描くのとはまた違った楽しさだ。特にケヤキが好きだ。削ったり加工していたりすれば満足なのだ。たぶんマザートリーというものではないか。一度始めるとしばらくは止まらなくなる。今回の一連の机は、以前のセキタ建設さんの庭に放置されていたものだ。大きなケヤキを根の所から輪切りにしたものだった。相当古いものだったようだ。切ってから少なくとも30年は経過してると言っていた。それからもう10年はたった。倉庫を改造するので、外に出したようだった。そこで売ってくれないかとお願いして、確か8枚ほどあって、それをまとめて確か1万5000円とかで安いので買ったものだ。

自給生活では、家も家具も当然自分で作りたい。と言って今住んでいる家は、残念ながら、自分で作ったものではない。食事をしている机は、山北で開墾生活を始めた30年前に切り倒した、ケヤキの木を山北に会った野地材木店さんで板にしてもらった。やはり何年かして自分で作った。それほど太い木ではなかったので、何枚も板をはってある。今も充分に使える。必要なものは何とか作るのが自給生活である。上手とかヘタとかは関係が無い。自分にとって気分の良い物を目指して作る。今回4つの机を作った。

 この板の厚さは、15センチはある。一番根本の輪切りだ。私は気のモク目とかが好きな訳ではない。むしろ木目を強調したものはいやらしさがあり嫌いだ。それでも、できタラ油を塗って保護をする。しばらくすると落ち着くのだが、最初は黒ずんで木目が強調される。机に乗っているのは、野焼きで焼いた陶芸の作品である。向かって左が縄文のストロベリーポット。中央が頭山。右は鼎の器。どれも花卉だ。この作品を載せる台になった。

 こちらは机にはケヤキの切れ端を載せ、その上にケヤキの器を載せてある。ケヤキの3段活用だ。それくらいケヤキが好きなのだ。中段のケヤキの板は、目的があるものではない。ただの切れ端と言えば切れ端なのだが。面白くて拾ってきたものだ。

 下の足は仮の物である。もう少し良いものを今計画している。しかし脚は少し難しい加工になるので、今はやる時間が無い。この足がよいのは、高さが高め低めに変えられるつくりだ。これはタモ材だ。これは本田大工さんがやはり倉庫を片づけるときにくれたものだ。

この机が3点目でのものある。この足は組んであって凝ったものだ。上に乗っているのは、ケヤキの家と、奥にケヤキノウッドドラムである。木魚と言うほうが近い。そして立っているのが1メートルくらいのケヤキの塔。

 

 ケヤキの塔はなかなか面白い。ケヤキの皮の部分の切れ端は、段々ひねれて曲がって来る。この曲がって来る所いいのだ。曲がりを見ている時が自然である事が見えるのだ。そして、この大きなケヤキの梢に吹いた風まで、かかった月まで想いを馳せる。事になる。

4つ目は、外のテラスに置いてある机。予定では足の上下が逆なのだが、まあ一応こうしてある。武骨な感じが面白いかと偶然に従った。この机で麦などを干している。大抵は猫がこの上で寝ている。

どの机も、90センチの80センチほどのものだ。残念ながら、実用性はあまりない。絵と同じである。ただただ作りたくなるので作る。本当は椅子が作りたい。しかし、そこまでの技術はないので、残った木を眺めて考えているところだ。

 

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