辺野古移転の民主主義無視
安倍晋三首相は17日の衆院本会議の代表質問で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について「米軍の抑止力維持と普天間の危険性除去を合わせたとき、唯一の解決策だとの考え方に変わりはない。日米合意に従い、沖縄の理解を得る努力を続けながら進める」
辺野古移転を普天間の危険除去を優先するには他の道がないと、沖縄県知事と話し合いすらしない政府は、民主主義を理解しようとしない。意見が違う人がいるのは民主主義の大前提である。徹底した話し合いにより、第3の道を探るのが民主主義では、行うべき唯一の道である。何故安倍氏はこれほどに、頑ななのだろうか。沖縄県民、名護市民は、選挙で明確に辺野古への移転をダメだとしている。この状況で行う事は、話し合いであろう。問答無用で、粛々と進めるという政府の姿勢は民主主義国家では考えられない。軍事優先の武力国家の様相である。少なくとも政府は辺野古以外に基地移転の道がないという論拠を示す必要がある。民主党政権の時には、随分と第3の道が示された。ことごとく米軍の主張の前にとん挫した。米軍が辺野古にこだわる理由は、沖縄本島だからである。無人の離島では何故ダメなのか。韓国移転の道は無いのか。充分な第3の道の模索の努力をしたのだろうか。
名護市長選挙、沖縄県知事選、そして衆議院選挙と、沖縄の民意は辺野古移転を拒否している事は明らかである。これは政府も自覚しているようだ。しかし、基地の移転問題は、国家の安全保障の問題であるから、地元の承認は要らないというのが、政府の現在の主張である。その考えが正しいとすれば、安全保障という名目で、政府は意のままに米軍基地の配置が出来るという、法律の解釈になる。それなら、安倍首相の地元選挙区のどこかに、首相の命令で移転したらどうだろうか。それくらいおかしなことだと考える。特に沖縄の基地軽減を主張しながら、何故海兵隊の新基地を沖縄に建設をしなくてはならないのか。沖縄差別につながらないだろうか。これが民主主義のもとでの正しい法律の解釈であるのか、国会での確認が必要であろう。もし、国会でその事が話し合う事が出来ないのであれば、裁判所の判断を仰ぐ必要がある。
安倍政権のやり方を国民の3分の2の人は我慢している。それは、民主的な選挙で安倍政権が選択されたからである。小選挙区制と言う、3分の1の票で3分の2の議席を得ると言うアンバランスな選挙ではあるが、それでも仕方がないと考えている。民主主義に従いたいからである。安倍政権がまともな民主主義政権であるなら、まず、沖縄県知事と会い、辺野古以外に米軍基地の移転が出来なり理由を、論理的に示すべきだ。その論拠が間違っているなら、第3の道を話し合う位は行って当然だ。それもしようとしないのは、話しても無駄だと考えているからだろう。それは民主主義国家として落第である。武力的不安を作り出せば、国民の総意は軍事力の重要性に傾くと考えている。そして、憲法改定に向かうと考えているからだろう。辺野古反対の声さえ上げにくい国家にしようと言う事だろう。