橋下市長と在特会の面談
乗鞍岳夕景 中盤全紙 冬に成るとスキー場に成る場所だ。昔ここに、村の施設があって、何度かスキーに行ったことがある。今はまるで違う所に変わっているが。乗鞍岳の姿は昔のままである。
橋下市長と在特会の面談は全く見苦しい暴言のやり合いで、何も具体的な会話はなかった。こうなるだろうと思っていたが、予測通りだった。ニコニコ動画にその時の様子が写されている。まるで喧嘩ごしである。さすがヘイトスピーチ代表は百戦錬磨で、在特会会長の方がけんかが上手いということは分ったが、そんなことは大した意味はない。在特会のヘイトスピーチがどれほどひどいものか。一度そういう場面に出くわしたことがあったので、良く分る。人間があれほどまでに、口汚く成れるのか、一つの芸の様な感じすらした。何年もヘイトスピーチをやり続けていれば、どういう言い方が一番人を傷付けるかが身についている。憎悪する言葉を良くもこれだけ探し出したかというような、すさましさがあった。何故そこまで言い募らないといられないかが不思議だ。悪口芸道の道の様なもので、その道に入ると極められずにいられないということなのではないか。人が嫌がらせる名人芸である。
たぶんこういう悪い気持は、日本全体にじわじわと広がってきている。このブログにも、ただ貶めよう。嫌がらせよう。自分の嫌がらせの巧みさを見せよう。こういう不思議な人達がコメントをしてくる。相手をケチョンとさせることで、鬱憤晴らしをする人達と想像する。私が左翼的であるから、当然右翼的な人と言うことに成る。右翼的な文章に対して、左翼的な嫌がらせコメントと言うのはあまり見ないので、嫌がらせは右翼的な傾向と、関係のあることなのだろうか。以前は、誤字脱字を指摘してくれる人がいた。親切なのかと一見思うが、どうもそういうことより、人の間違いを許せないというか。人の文章を読むと揚げ足を取らずにはいられない人がいるようだ。もちろんタダ親切と言う人もいる。いやがらせの鬱憤晴らし文化。もちろん社会の閉そく感が背景にある。そういう時代の傾向なのではないか。それが無名性をいいことに蔓延し始めている。
その代表格が在特会のヘイトスピーチである。在特会は一見愛国団体の様だが、もし本気で愛国的であるなら、こんな日本を貶めるような行為を繰り返しはしないだろう。愛国というより、嫌朝鮮を目的化しているようだ。ヘイトスピーチを行うことで、在日の人たちを追い詰めようと言うことだろう。他人の人格を否定するような発言を悪芸と言える様な領域にまで高める。これはすごいことだ。こんなことに情熱を燃やしてしまう人間というものがいる。人間は情けなく哀れなものだ。私は、安倍氏の「瑞穂の国・美しい日本」発言がどうしても心ない言葉として残っている。何故こういう思いを心に秘めながら、美しい日本から遠ざかってゆくのかが不思議なのだ。そう思うと、安倍氏を、仕立てあげているゴーストライターの存在が見えてくる。安倍氏も大臣の息子で、小渕氏同様人にお任せにする能力がある。突如持ち上がった地方創生も、標語ばかりが目立って、実が無い。
愛国を標榜する人達は、どんな日本を理想としているのだろうか。強い軍隊のある国らしいと言うのは分るが、どのように日本人が暮らしている国なのだろうか。日本人の暮らしについて、何らかのイメージはあるのだろうか。また、自分の暮らしは日本人にふさわしいものなのだろうか。もしかして天皇家の暮らしを模範として、その様な暮らしを目指しているのだろうか。たぶんそういうことではないはずだ。自分の人格とは別に、自分の暮らしとは全く別物として、日本と言う国をイメージしているのだろう。だから、在特会はヘイトスピーチを行うことに成る。日常生活が全てだと思っている。言葉にすることは実践を伴なうように努力したい。地場・旬・自給と書いてきたのは、そう生きてきたいからである。