農山漁村に関する世論調査
鳥海山 10号 鳥海山の海側ではなく、裏側の方から描いたものである。
内閣府の行った、農山漁村に関する世論調査の結果が公表された。想像通りの結果が出ている。却って何の意図のアンケートなのかと考えてしまった。内閣府のアンケートによくあるパターンではないか。アンケートの結果を意図通り出して、各報道機関がお決まりの反応をする。次に来るのが、だからこういう政策が必要と言うことになる気がする。地方の主要産業である一次産業を細かく見てゆくには、質問があまり上等と言えない。今の都市生活者の気持ちを表現している様だ。このアンケートでは地方に暮らしている人間の実態は見えない。都市住民の余暇を農山漁村で生かせる方法を見ようとしているのだろか。都市住民が地方の暮らしを本音ではどう考えているのか。移住をしたいのかどうか。その肝心な部分はこのアンケートでは良く見えない。その為に結果は仕事が無いから、地方には戻れない。そして、病院とか学校、住宅が無いから、地方に移住はできないというような、結論が見えてくるアンケートになっている。報道の反応もその範囲だ。
若い人が都会から地方へ移住したいという希望は確かにある。そうした希望に直接接することもある。しかし、地方には住宅の受け皿も、仕事の受け皿も不足しているので、そう簡単には移住までは考えられない。結果として浮かび上がるのは、地方での仕事の創出と言うことになる。誰が考えても常識すぎる結論だが、当然のことだが、ここがとても難しい。日本だけではなく、世界中の傾向がそうだ。地方の暮らしには、惹かれるものはある。しかし、一次産業以外の仕事が無い。この場合の仕事とは何だろう。つまり、自分に適合する仕事が無いということだろう。どんな仕事でもいいなら、仕事は地方にもある。一次産業に付きたくない若者が普通である。かっこいい、できれば大企業に入社したい。あるいは安定した公務員の様な仕事に就きたい。というような希望を地方でかなえられれば、地方の暮らしも悪くない。これが地方の暮らしをしても良いという、若い人の一般的な願いではないか。
このアンケートを眺めて思ったことは、都会から、1時間30分圏の人間らしく生きられる環境に、都会の人の受け入れ態勢を作ることではないかと思う。自給自足に暮らしたいと考えて、素晴らしい環境という意味では、山奥に行けば行くほどそういう場所は存在する。しかし、そこまで行けば、移住はできない。それなら、東京で一応は暮らしている。しかし、自給自足できる条件を足柄平野に作る。こういうことは可能だと思う。足柄平野には、耕作放棄地はかなりある。農業者の年齢からして、放棄地は急激に増えてゆくだろう。大規模農業、ロボット農業、工場的農業、いずれも足柄平野は適地とは言えない。それなら、都会の中の農業希望者の受け皿になったらどうだろう。これは私の20年来の主張だ。根府川から早川の旧みかん園など、環境的には理想的な所だ。あの斜面を都会の人が本気で自給的な農業を行う場所に作り替える。斜面だからこそ、自給農業には適地のはずだ。通い自給だ。
まず、足柄地域の出身者を中心に呼び掛ける。この地に両親は居る。友人もいる。そうした人と交流をしながら、ふるさとの役に立つ。ふるさとの自然環境を味わいながら、ふるさとの環境維持に協力できる。一度はふるさとを離れた人の心にはいつもふるさとはある。この人達と繋がることだ。私の父など一度も高知に行ったことはなかったのだが、高地が故郷だと思い続けて死んだと思う。ふるさと応援団の形成である。今故郷には、受け皿がない。農業の発想の転換が必要である。ふるさとの人達も、他所者に我がものの顔で踏み込まれるのは嫌に違いない。同じ部落の出身者なら、そのあたりの軋轢が少ないだろう。地域側としては、受け入れの仕組みを作ることだ。希望者は居る。小田原にふるさと納税をしてもらうことを条件にしたらどうだろうか。その納税分で、耕作放棄地を都会からの自給用農業地に作り替えてゆく。あれこれやることは山ほどあるが、やるだけの価値のあることだと思う。