TPPで稲作はどうなるのか。
男鹿半島 10号 とても面白い場所で、何枚も絵を描いてみた。5月が特によい。家の感じがとてもよい。
田んぼが始まった。苗床では、発芽が始まっている。オバマ大統領が来日して、TPP交渉をした。分ったことはアメリカは関税の撤廃を主張していることぐらいだ。これではいくらなんでもまとまらないだろう。要するに、農業をどう犠牲にするかを調整している。ともかく決まらなかっただけでもよかった。日本がTPPでアメリカのような国の価値観に巻き込まれてゆく姿が浮かび上がってくる。以前、神田であったTPP反対集会で発言したのだが、あれこれ主張した後「デズニーランドに遊びに行くより、田んぼで楽しもう。」思わず出た言葉だったが。みんなから笑いがとれてよかった。要するに人間というものが主体性を失い、消費者という企業の都合のよい存在にされてはならないということだ。田んぼで主体的に行動して、本当の楽しさを知ってもらいたい、ということだ。デズニーランドに行くということは、アメリカ文化を享受するという、受け身文化ということに気付く必要がある。田んぼは自分が生きる基本となる食料を生産するという、生きる基盤となる経済的生産行為だ。楽しさも違うのだが、自分が得るものが本質的に違っている。TPPの本質は、アメリカに日本が染まるということだ。
アメリカの文化はすべての人間を消費者としてとらえる文化だ。常にお客さんなのだ。稲作も経済性の側面からだけ見て、より経済合理性のあるという観点だけを、価値の比較基準にする。これが経済のグローバリズムであり、ある側面から見れば、実に合理性のある考え方である。戦後の日本もアメリカから学んだこの経済主義で、お金には色がないということで、世界との貿易で経済の規模を拡大するということに躍起になってきた。そして一定の成功を得たおかげで、今の日本の経済的な豊かさというものを手に入れた訳だ。しかし、このことを良く分析してみると、日本人というものの能力がその根底にあったということだ。江戸時代までの日本人も、世界の多様な民族が存在する中、日本列島という恵まれた国土を生かし、文化的に実に奥深いものを培ってきた。それは、絵画に於いてみても、全く世界のどの地域のものと較べても、遜色のない立派なものである。
そうした豊かな感性を持った日本人がいたからこそ、戦後の経済発展もあった。日本人の根底の文化を武士道というように主張する人もいるが、これは間違っていると思う。東洋4000年の永続農業が日本人を作ったと考えた方が、はるかに筋が通る。一部の支配階級としての武士道が儒教的な思想に基づき、日本独特の精神文化として存在するのは確かであるが、大半の日本人の根底にあるものは農民としての自給永続の思想である。豊かな文化的感性は、自然とのかかわりを手入れの思想として、精密に組み上げた農業という営みにもとずくものなのだと考えた方が、しっくりとくる。日本人は、部落と里山の精妙なかかわりを、大きな改変なく、調和させてきたのだ。これは日々の人間の生き様に反映されたものに成ったのだろう。文明開化と言われた明治以来西、欧の機械文明を巧みに日本的に応用できたのも、日本人の里山的文化の下地があったからだろう。
世界と付き合うのを辞めて、過去に戻れということではない。どのように、日本人の良さで世界に貢献できるかかである。日本人が生み出した、循環型の暮らしは、次の世界の方向の大きなヒントのはずだ。人様に迷惑をかけずに暮らすということだ。このまま、アメリカ的な能力主義の経済競争を公平とする、強者の有利の論理に巻き込まれてゆけば、必ず、世界は行き詰まることになる。経済格差はますます、深刻化して弱者は能力がないのだから、下積みに置かれても仕方がないという、人間というものが尊重されない、能力による人権の差別社会を認めてしまうことになる。日本文化ががアメリカ社会化してゆく、TPPは岐路になるだろう。グローバリズムを認めるか、地域主義を尊重するかである。両者は共存できない思想なのだ。すでに、日本は弱い地域を切り捨て始めている。経済的能力のない地域が滅びるのも仕方がないだろうという方向になっている。TPPから食糧を除外するのは、各国の当然の権利である。