サムスンとシャープの提携
世界経済というものをよくあらわしている資本提携である。シャープが日本の企業で、サムスンが韓国の企業というような考えは、違っているのだろう。世界企業は国の利害を超えて、利潤を求めてゆく。企業は都合の良い時には、日本を前面に持ちだしてくる。しかし、企業の利益が優先であることは間違いがない。自動車会社の提携なども、繰り返しあるが、私の生活感覚とか、正義という価値観からは違いすぎて、判断ができない。私の場合、日本という意識はそれなりにある。日本という枠の中で生きている。しかし、神奈川県のためという気持ちはない。小田原が自分にとって、重要な枠組になっている。さらに、久野が少しでも良くなるためなら、頑張りたいという気持ちもある。13年前に来た土地で、郷土でもないし、縁もない。しかし、自分が暮らしている地域に良くなってもらいたいという思いは、自分で驚くぐらい強くなっている。
たぶん企業の中にも、日本出身の企業という思いはあるのだろう。それが前面に現れてくることもある。しかし、まるで利敵行為かというように、日本の枠を超えて、あさましく利益を求めてゆく姿を目の当たりにする。この傾向は強まっている。労使交渉に対する経団連発言。法人税を下げなければ、企業が海外に出てゆくと言われる。私の場合、どれほど税金が高くなろうが、思想の違う政府になろうが、この国を出たいとも思わない。それは、フランスで暮らした、2年半がどうにも、耐え難いものがあったこともある。出掛ける時は日本を捨てるくらいの、心機一転の気持ちであったのだが、日本人であり、日本でやる以外にないと考えて戻ってきた。どうにもならなくとも、日本で頑張ってみようと思ったのだ。その方が自分の絵を突き詰めることができると考えた。もう一度、フランスに行くというようなことは考えもしない。
企業と国家の関係をもう少し突き詰める必要がある。経団連の主張が企業を代表する意見なのだろうが、自分たちの経済的利害を主張し、政府に圧録をかけている。日本には残念ながら、悲惨なことがある。待機児童の問題。格差の問題。医療のたらい回し状態。労働人口が減少しているなら、女性の社会進出の条件を整えることが、政府のやるべき第一だろう。何故保育所を十分に準備できないのだろう。格差はさらに広がっている。地域格差も、職業格差もある。能力主義の問題である。企業が必要とする人材は限られている。合わない人が大半のような社会が良い社会と言えるのだろうか。救急病院の不十分な状態。何十か所も断られて、ついに手遅れになって死んでしまう。いつになってもこんな状態が改善がされない。人間死ぬ時ぐらい後悔のないものであってほしい。こうした国として行き詰っていることにたいして、企業はどうかかわるのかである。あるいはかかわれないのかである。
こうした問題を解決するのも確かにお金だ。お金が足りないというのでなく、再配分がおかしい。そして税を上げ、法人税を下げる。法人税を下げても、潤うのは利益の出ている大企業だけだ。苦しい中小企業は関係のない話だ。日本の企業が日本の国のために存在するというようなことは、無理な話だとすれば、そうはっきりとさせるべきだ。そのうえで、日本の社会を考えておかないことには、企業栄えて、国滅ぶということになりかねない。シャープは自分を追い落とした、ライバルのサムスンに助けてもらおうというのだ。原因は、液晶パネル工場の投資の失敗とある。すでに大型液晶パネルをサムスンに出荷して、急場をしのいできた。日本国内に大工場を作っても、経営的に足を引っ張ることになる。本当に、亀山工場がフル回転して、サムスンの液晶パネルになることが、製品価格として、あり得るのだろうか。残念ながら、無理なことだと思う。高品質であれば、高くても売れるという発想が違ってきている。他の企業はシャープから何を学ぶのだろうか。