明日へ政治の責任

   

野田総理大臣の所信表明に「明日への責任」が20回も出てきたらしい。聴くだけの興味も無かったのだが、ネットで調べて見てみた。この責任を果たそうとしない野田氏からこんな言葉を聞くとは思わなかった。内容は「決断する政治」を行う事が「明日への責任」を果たす事としている。実態とはかけ離れた驚愕する所信表明であった。自分が総理として、明日への責任を果たせなかったという反省が微塵も無い。一年間明日への責任を放棄し続け、決断をしなかった人間の言うことだろうか。もし日本経済再生に道筋を付けられるとするなら、具体的な政策を述べなければならない。空理空論であり、決断するなら総理大臣を止めること位しか残されていない。「政治の明日への責任」において、当然総理大臣が一番責任が重い。その総理大臣が、自分の責任を自覚せず、野党の責任にするようでは、話にならない。よくも平然と実態の無いことを言葉巧みに述べるものだ。

自民党もいよいよ、国会審議に参加すると言い始めた。野田氏から、責任の果たせない原因とされたら堪らないということだろう。今度は、協力してくれるからと言って、解散が条件ではないと言い始めている。そんなことはどうでもいいが。国会でやるべきこと。例えば、野田氏が民主党内の反対も押し切り勝手に任命した、原子力規制委員会の委員をきちっと国会で審議すべきだ。復興予算を原子力発電の輸出事業に転用していたと言う問題もある。復興予算とは何か。経済振興策を復興予算に入れてしまうなど、とんでもない話だ。解散する前に、与党も野党もこういう事を徹底して、議論して欲しい。領土問題もある。竹島と尖閣で、日本の主張は矛盾している。両方とも国際機関の判断を仰ぐことが良い。いつの間にか、領土問題が歴史問題として戦争責任の問題に進んでいる。日本の最近の主張は慰安婦問題でも、無かったことにしようとしている。こうした態度が中国韓国の不信を生み、慰安婦問題の本質を変えてしまっている。

福島第一の事故とその検証。これも中途である。責任の無い次の世代に、負の遺産を残したままである。これこそが明日への悪の遺産を残す犯罪責任である。誰もその責任を取らされた人はいない。事故後の日本政府及び、報道の人命軽視の対応の検証。東京新聞は原発に対し、責任ある報道をしている。是非、事故後一カ月の報道の検証をしてほしい。これもごまかして終わりにされようとしている。ごまかしの最たるものは、青森の原発工事の続行。そして六ヶ所村の再処理工場継続。これらは30年代の原発廃止と、明らかに矛盾している。今や、30年代原発廃止が、得意の実現できない民主党のマニュフェストに成ろうとしている。耳触りのよいことだけは言う。沖縄の基地負担の軽減。それを具体的にどうやるかを示すのが政治だ。どこかに負担増が起こる。反対も起こるだろう。それでもやると言うのが、明日への責任を果たすという事だ。

日本経済の再生に責任を果たすと野田氏は力説した。シャープ、ナショナル、ソニーと軒並み大幅赤字である。世界の潮流に対し、対応が遅れている。テレビのデジタル特需で一時延命していたに過ぎない。今までの日本電化製品のリードが、失われたのである。安くてそこそこのものをどこの国でも作れるようになったのである。こうなるはずであるし、悪いことではない。問題は、この事に充分な対応せず、年に何度も新製品を出すような、一時しのぎの企業戦略の甘さが災いしている。何故、蓄電池や太陽光パネルにおいて、世界をリードできるような製品を作り出せないのかが問題である。政府が経済政策と言うなら、再生エネルギー技術開発に、原発以上に力点を入れて動いてきたかどうかである。原発輸出に力を入れているような場合ではない。国を上げて、再生エネルギーの実用化に向けて努力すべきだ。日本人すべてが、その気に成って立ち向かえるような方角を示す事が政府の明日への責任である。

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