議会基本条例市民フォーラム
案内の連絡が「小田原市議会を考える市民の会」からあった時に、誰が主催者なのか分らなかった。まさか、小田原市議会で北川氏をお呼びするとは思っていなかったので、少し驚いきながら、期待して出掛けた。北川正恭(まさやす)さんによる基調講演 演題「 分権時代の議会の役割 」とあった。ともかくこれだけは聞きたいと思って出掛けた。この人の考え方や行動は、地方自治の改革のひつつのあり方と考えていた。特に政策選挙の道では目立っている、大阪市長や名古屋市長の地方改革は、独裁改革でおかしいと思っている。むしろ、下からの改革、市民が議会を変えて行く、市民主体の改革が重要だと思っている。小田原では、時間をかけて議会基本条例が作られようとしている。しかし、この条例も今までの所上からの条例であり、市民から意見を積み上げるような、革命的なものにはなっていない。ただありますという、「小田原市自治基本条例」の前例にならなければいいが。
100名を越える市民が集まっていた。こんな地味な集会に、この暑い中良くもこれほどの人が集まったと言うことにまず驚いた。北川氏の吸引力もあるが、市民の小田原を何とかしたいという思いの強さと言うものが背景にあると思う。それだけ、市民の行政や議会に対する、怒りと要求意識が高いという事だ。それは、議会を考える市民の会も粘り強く続けられてきたことでもわかる。気になるのが、参加者の平均年齢の高い所である。私が平均くらいだろうか。北川講演の中心になったことは、議会の根本改革の必要性であった。改革の必要な議会ほど、自分の所は充分改革をしていると弁解するそうだ。まず固定観念を取り除くこと。その場を支配する空気を取り払うこと。議会とはこういうものである。議員とはこうである。こういう事を取り払い、市民の目線で自治を取り戻す、市民民主主義を作り出さなければならないということであった。
第2部として、議会の基本条例制定特別委員会の委員の方が市民に答えるという形で、フォーラムが行われた。内容が物足りずがっかりした。まず質問時間は2分。5名程度質問して終わり。私も是非開かれた議会の為に、意見を述べたかったが、全くその機会はなかった。フォーラムがこれで終わりということはおかしい。市民との本当の意見交換はまだ始まったとも言えない。一応フォーラムをやりましたというだけに終わるのだろうか。市民が議会に対して何を期待しているのか。もっと突き詰める必要がある。先日このブログで、ある議員の投票行動を批判した。その議員は「やられたのでやり返してやった」と、明言して、信じがたい笹村否定行動に出た。小田原の議員は議会での行動をこんな風に捉えている。つまり、議員であることを、まるで自分の獲得した大切な職業位に考えていて、自分の仕事にいちゃもんをつけられたぐらいにしか考えない議員もいる。
議員の投票行動を公開しないで来た理由がよく分かった。市民の意見は多様。議員の考えも多様。。当然である。だから開かれた議会は市民の意見をよく聞くシステムを持っている。「市民の声を広く集められるか。」「それを公開して議論し、」「どこまでも民主的に取りまとめ、」「市行政にやらせてゆくのか。」これが、議員と市議会の役割である。このもっとも基本的な所を議員になると忘れたくなるらしい。方法はある。議員全員に日誌を義務ずける。議員としてその日やったことを書いてもらう。業務日誌なのだから、当然である。そしてそれを公開する。メールアドレスも併記し、市民はいつでも意見を言えるようにする。すでにブログと言う形で行っている議員もいる。代表的な例が、加藤市長である。こうすれば、その人がどんな意見のどんな人かは4年間を通して分かる。