食糧は余るのか、足りないのか。

   

世界の食糧生産は足りているのか、将来も充分なのか。意見は割れている。東京大学大学院准教授川島博之氏によると、世界の食糧生産はだぶつき気味 。農薬や化学肥料や機械化の為という。世界の穀物需要量は、途上国の人口増、所得水準の向上等に伴い、1970年に比べ2.0倍の水準に増加している。一方、生産量は、主に単収の伸びにより需要量の増加に対応している。現状ではあり余るほどでもないし、足りないという訳でもない。あるだけ食べるのは当たり前のことだ。耕作面積の増加ではなく、1970年からの40年余りで、単収が2倍になっているという事だ。一人で100人分の食料が出来るとしている。この先40年でまた倍の生産が出来るかといえば、疑問点がいろいろ出て来る。人口増加が飢餓によって抑制される状態。

むしろマイナス要因が今後生産量を抑制するのではないか。温暖化に伴う砂漠化。農薬、化学肥料の収奪的農業による農地の荒廃。本当に今後も食糧はあり余るものと決めつけていいのだろうか。穀物だけで食糧を考えた場合では、人口に比例して増加している。食糧の贅沢化。家畜飼料の増加。バイオエネルギーの農地利用。温暖化。砂漠化。世界人口の増加。こうしたことを勘案すると、今が最高水準の生産量ではないかと思っている。この予測をどう考えるかは、農業政策に大きく影響する。川島氏は食糧は余っているのだから、差別商品として、高級化しなければ売れない。ただ、食べるものを作るのでなく、味覚の良さというような、差別化を農家は追わなければならないとしている。日本はお金があるから、輸出したいという国から、食糧は買えばいいという考え方でもある。飢餓の国が増えて行くにしても、日本が飢餓になることはない。まさに食糧を競争の原理に従って考えている。こんな思想が何時まで保てるかの保証はない。

川島氏は、農業問題は食糧の問題ではなく、農協のあり方、土地制度、いわゆる「偽装農民」の存在など、かなりの程度政治的・社会的問題だとする。私は、個別の「○○安全保障」というのは、あまり意味のない議論だと思います。「満州は日本の生命線」みたいな議論は危険です。食糧があっても石油がなければ、日本はあっという間に倒れます。それこそ外交を機能させ、そうならない状況を作り出すことこそが重要なのです。食糧自体を見ても、世界は圧倒的に作りすぎです。価格が落ちていて農家が大変だから農業問題が起こっているのです。日本は大部分の食糧をアメリカ、オーストラリア、ブラジルなどから輸入していますが、それらの国々との外交関係は良好で、彼らとしても農産物が余っているのだから、輸出規制をかける理由は何もありません。こう発言している。

偽装農民論は農家の政府に翻弄されてきた歴史を理解しない人間の言葉である。結果的に偽装になるとしても、農家自らの意思というより政府の方針でそうならざる得なかった現実の重さ。川島氏の発言は、論理の杜撰さは目立つ。学者とも思えない論理的矛盾が多々ある。背景のない思い込みで発言する。食糧安保を、空論と考える論拠が、石油が無ければ食べるものがあっても意味がないとする総合的安保論。世界が食糧の作り過ぎと考えるのは、商品取引という意味にすぎない。実際に足りないアフリカの国は、国際紛争の火種になっているのだ。質は違うが中近東の紛争も、食糧の安定個行給の問題がある。日本は食糧の自給まず優先的に行う事で、すぐれた交渉の基盤を作り出すことになる。今が世界食糧のアンバランスの上で、日本が足りたとしても、今後増産は鈍化する。そして食糧は遠からず欠乏する。中国人がアメリカ人並みに食べるようになれば、もうそれだけで、食糧生産は追いつかなくなる。その日に備えるのが、農業政策ではないだろうか。

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