電気自動車

   

電気自動車にいつか乗りたいと思っている。そう思ってから、もう2年ほどたつ。理由は電気は自給しているから、自動車が電気で動けばエネルギーも自給ということになることがひとつ。もう一つは車の蓄電池が非常用に使えれば、災害時の準備になる。先日、タケさんのブログに電気自動車の電力消費の大きさが書かれていた。確かにその量は一回の充電が、家庭での消費の2日分とある。驚くべき量である。つまり問題の核心は自動車というものの莫大なエネルギー消費のことのようだ。電気かガソリンかより、必要な時以外、車に乗らない方がいいということになる。それはそうなのだが、車は自給生活には、必要なものである。山北の山の中の一軒家で車なしの暮らしをしていた時。自給の暮らしは車なしでは不可能だという事をしみじみ感じた。確かに無駄に乗るのは良くないが、タケさんと行った、車での温泉旅行は忘れられないいい思い出である。

多分電気自動車を買えるまで後2年はかかりそうである。蓄電池の性能がもっと良くなるに違いないと思っている。多くの自動車会社では、蓄電池の開発にしのぎを削っていると思う。スカイラークで無料で充電サービスをやっている所があるらしい。コンビニでも急速充電器を設置するところが増えているらしい。この傾向が進めば、ガソリン車よりむしろ便利になるだろう。その上家での緊急用電源として機能すれば、移動手段の自動車が災害対策に役立つ。まして自給生活においては、昼間は太陽光発電を行い。夜間に自動車からの電力が使えれば、東電から電力を買わなくても楽に暮らせるようになるかもしれない。いずれにしても蓄電池の性能の向上に期待している。ネットで調べてみると、急速に進化していることが分かる。分かるほどに、今はまだ買える状態でないことも分かる。テレビもそうだったが、進化している時にはためらう。

電気自動車など普及したら、原子力発電所がさらに必要になる。と考える人もいるかもしれないが、私は夜間電力を使えばいいと考える。電気は発電能力に従い、一日の中で平均的に使う限り無駄が少ない。電力の使用時間による価格差をもっと大きくすることである。昼間の電気代は今の倍くらいにする。高いことが低所得家庭で問題になるなら、他のことで補うべきだ。工場は夜間操業が可能な所はすぐそうなるだろう。電力不足はピークの問題が一番大きい。加えて太陽光利用である。暑い盛りのピーク時こそ発電量が大きい。そうした家づくりも進んでいる。となると、今度は資源の問題が、あるいは製造コストの費用対効果の問題など指摘される。つまり、一番良いのは縄文の暮らしに戻ることだというような考えである。自給農業をやるのに、ビニールハウスはおかしいだろうという事と似ている。先日指摘された、自給農業でトラックタ―などおかしいだろうという考え方と似ている。

蓄電池の問題さえ解決できれば、ガソリン車は将来すべて電気自動車になると考えている。電気が再生可能エネルギーだけになれば、石油より電気は環境的なエネルギーということになる。それがとても高価なエネルギーになるにしても、発電を再生可能なものにすれば、方向に間違いはない。タケさんのブログによると、一般家庭の2日分の電気エネルギーで豊橋まで行ける。価格は随分安い。500円くらいということか。ガソリンなら、10倍に近い価格ということになりそうだ。何故そうなるのだろう。コンビニやファミレスでただで充電できるなら、さらに安い。これは何か不自然でおかしいが、その理由は良く分からない。いずれ蓄電池である。投資する資金があるなら、蓄電池の開発企業に投資したいくらいだ。この分野で、日本は頑張ればいい。これが必ず次の大きな産業になる。レア-メタルは使わない。消耗的なものではだめ。これは必ず突破できる技術だ。

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